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土下座と謝罪と反省と

2013年11月03日 | 雑記帳
 「謝罪」流行りである。例のドラマ「半沢直樹」の土下座のシーンが引き金になった感もあるし、宮藤官九郎脚本の映画「謝罪の王様」上映に合わせた話題づくりもあるのか。先月身近な所で些細なトラブルがあったが、事情や心底がわかる相手だったので、お互いに「謝罪を」と言いながらジョークで乗り切った。


 ビジネス誌に「『謝り方』の基本」という特集があった。面白かったのは、流行りの?「土下座」をユーモアを交えて教えてくれそうな人として依頼された柳家喬太郎が、その取材に怒りを表明したとのこと(結局それをネタにした記事)。喬太郎は言う。「土下座はいわば伝家の宝刀。抜いても抜かせてもいけない。


 確かに目の前で相手に土下座されたら、周りはその相手より自分を悪者と見る可能性も大きい。だから「土下座しろ」などと言う人間にはなっていけないのだ。それゆえ半沢は出向されられた…(違うか)。土下座という形式は強固なだけに、意味は伝わるが、実は内面が見えにくいということも影響するかもしれない。


 同じ雑誌で茂木健一郎がずばりと書く。「謝罪は、相手のためにすること。一方、反省は、自分のためにすること」。この二つが別物であるという解釈は、考えに柔軟性を持たせてくれる。何か不祥事とされることがあれば、もちろん二つとも必要ではあるが、それらを限りなく近づけようと努力しなくともよい。


 言葉のゲームのように割り切って考えよう、というわけではない。相手の納得のために何が必要かという観点と、今後に何を生かせるかという観点をごちゃごちゃにしてはいけない。双方を区別しながら折り合いがつくように心がけるべきだ。安易に謝罪行動だけで済まして、事態改善されてない例はいくつもある。