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核となる言葉を少なくし

2013年11月04日 | 雑記帳
 保険関係の方が置いていったPR誌に、安彦忠彦氏のインタビューが4ページにわたって載っていた。その仕事には感心があり少しの時間読みふける。「『教育固有の価値』の復権を」という主張には、なるほどと思うし相変わらずバランス感覚の優れた人だなと感じた。ただインタビュー冒頭の言葉が気にかかった。


 安彦氏は現在文科省の有識者会議の座長をされているが、会では早くも次期改定に向けて準備に入ったという。役職を引き受ける折「今の指導要領がやっと本格実施に入ったばかりなのに、もう次の改訂の下準備に入るわけね?」とそんな皮肉?を口にされた。この件を読み、いつもそんな繰り返しだと思ってしまう。


 私たちから見れば、実践一つ一つの充実を図ること、そして評価もなにもまだ満足にできない間に、次へ向けての準備や話が進められる。その過程で少しずつ情報が流され、それに向けた取組が「先進的」と称されてもてはやされ、現在は置き去られがちになる。そしてそのサイクルに私たち自身も慣れきっている。


 「不易と流行」という言葉自体は不易であるはずだが、流行のように使われたときがあった。今、キーワードとされている言葉であっても、あと数年で過去のものにされていくのだろう。いわば小手先の言葉に振り回されて、儲かる会社やスピーカーとしての機能に自己満足している輩がいることを忘れては駄目だ。


 そういうサイクルや携わる人々を否定するわけではない。しかし、学校現場の現実、子どもへの指導に関して本当に核となる言葉はもっと少なくていいだろう。教育の方向に大きな変化がない限り、例えば安彦氏が教育固有の論理として「自己教育力」の育成を挙げたように、核はシンプルなままで自由度を拡げたい。