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「魅力ある」の対象を心密かに

2013年11月16日 | 雑記帳
 市の公開研究会が催された。
 国立教育政策研究所の委嘱をうけている学校が会場である。
 その内容は「魅力ある学校づくり調査研究事業」というもので,不登校の未然防止が目的とされている。

 公開内容のことについて,あれこれ語りたいわけではない。

 「魅力ある学校づくり」って何だろうということだ。

 誰にとって「魅力ある」ものかと問えば,それはまず児童生徒が挙げられるのは間違いない。
 今回の公開でも「すべての子ども」という文言があったはずだ。

 ただ,もう少し幅広く考えれば,保護者や地域住民であったり,そして職員であったりするかもしれない。

 栃木県のある学校の資料にも「目的」として,その三つが載っていた。

 では,その三つの目標の優先順位は,と問うてみよう。

 そりゃ当然「児童生徒>保護者>職員」でしょう。さもなくば「保護者>児童生徒>職員」…そう,職員は仕事として報酬をもらっているから,魅力があるとかないとかの問題ではないでしょ,という論理が成り立つ。

 いや「職員>保護者>児童生徒」か「職員>児童生徒>保護者」は成り立たないのか。
 指導する職員が魅力を感じていないのに,子どもや親が魅力を感じることができるのか,とすることができる。

 はたまた「保護者」を広く納税者ととらえれば,納税者こそが一番重要という論も当然あり得る。

 結局,これは順番をつけることができない,無意味だ,併行していくことこそ肝心という大局的な見地もしくは玉虫色的な姿勢に落ち着くことになるのだろうか。

 それでも「学校づくり」は進行していくのかもしれない。
 しかし宣言しなくても心密かに定めておいた方が,個人としてはきっと「楽」だ思う。

 肝心のお前はどうなのだ,と言い返されれば,とても研究紀要のようなものには書けないが,「職員」と答えてみたい。
 それは自分がその立場にあるからであり,その立場での追求が他に強く波及すると信じなくてどうする,という思いが根強くある。

 教育の場には,指導があり,感化もあり,影響もある。そして強制もある。
 その主体者である教員が「魅力ある」という自己目的を持ち,共通理解や共有を探ることを優先したい。
 「学校」という組織の芯はそうして強くしていくのではないか。

 さて,この事業は「不登校」がテーマだったな,ああ,あの本をもう一度取りだしてみよう。