すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

イモブログから芋ブログへ

2015年02月18日 | 雑記帳
 研究授業があり、漢字辞典を使用していた。
 参観しているときに、教師の机上にあったその辞典(小学館)をちょっと借りて、学習している「かんむり」の箇所を調べてみた。

 「くさかんむり」の一番初めに載っていた語は「芋」である。
 ここに書かれている「なりたち」が妙に面白い。
 紹介する前に、他の辞典をみてみよう。

 ~チャレンジ小学漢字辞典~
 「艸(くさ)」と「于(大きい)」を合わせた字。

 何も変哲のない説明である。

 大人用を見てみよう。

 ~常用字解~
 形声。音符は于。于には長く大きくて、先がゆるくまがるという意味がある。
 芋は太くて長い形の「いも」をいう。


 なるほど。さすがに字解である。
 では、教室にあった辞典と同じ監修者である藤堂明保編ではどうだろうか。

 ~漢和大辞典~
 「艸」+音符「于(まるく大きい)」の会意兼形声文字


 あっさりです。

 では、電子辞書はどうだ。
 おっ、これは近くなったのではないか。
 
 ~新漢語林~
 「艸」+音符「于」
 音符の于は、誇に通じ、ほこらしげに言うの意味。掘るとその根が誇らしげに大きくなっている。いもの意味を表す。


 「誇」に通ずるという解釈か。なるほど。「大きい」「丸く大きい」では少し物足りない。

 自分がへぇぇぇと思った説明は、次のように書かれていた。

 「くさかんむり」と「ウ」の音を表す「于」とでできた字。
 ウワァと人をおどろかすほど大きないものこと。



 形声文字の音符と、それを見た時に口にする音が重なる場合があるのかないのか定かではないが、なかなかいいではないか。

 雑学として「芋」の成り立ちなどを語る場合は、字解の象形的なことから音符に近い「うわぁ」まで話せれば、結構面白いと言える。

 さて、「芋」にはご承知のごとく、もう一つの意味があるわけだが、それを「イモ」と自覚し、休まず続けていれば、本当の意味での?芋になるかもしれない。

健康オタク、覚悟をもつ

2015年02月17日 | 読書
 【2015読了】20冊目 ★
 『「空腹」が人を健康にする』(南雲吉則  サンマーク出版)

 「健康オタク」と家人に嘲笑されている。知識を持つことは悪いことではないし、サプリメントだって信じて飲めばそれなりだろうという考えはある。健康本を読む割合は1割以下かもしれないが、自分が信じている考えに出会えると嬉しいのでつい手が伸びる。このベストセラーは当然以前から知ってはいた。読まなくとも、理論はなんとなくわかっていた。


 この本の「一日一食」は「半日断食」の考え方に近い。当然、批判もあるだろうが、とにかくこうした健康法志向を目指すなら、従来の常識にとらわれず信じたい方法をやってみることだ。そこでこの本からのお薦めは、以下の三つ。「一物全体で完全栄養を摂る」「たった3分間で一万歩ぶん歩ける」「偉大なるワンパターン生活」。日常改善で効果が期待できる。



 【2015読了】21冊目 ★★★
 『健康に生きる覚悟』(森村誠一 KADOKAWA)

 八十代の現役作家。文壇における健康オタク?として五木寛之と双壁かもしれない、と勝手に解釈した。上の著と違いずいぶんとページの端を折った。「社会生活を自分に合うように調教する」「(ここから先はいらないという)限界効用の切り替えポイントを自分の体に刻み込む」「予定立役者は若返るのではなく、常に若いのである」…主体的な暮らしの設計の話。


 こんなきつい一言がある。「現代人は便利性の奴隷になっている。『便奴』という人間の最低辺である。」読み流してはいけない。つい昨日も職場のコピー機がうまく作動せず、連続コピーにできないことに苛立ってしまった。たかがその程度のことでも、人は便利になるとなかなか前地点までは戻れない。ここで踏み止まった方がいいという決断をする年齢だろう。


 この著の特徴に、「補筆 本書に登場するキーワード」がある。ここに書かれている書名にも使われている「覚悟」の文章が素晴らしい。私のような読者対象を意識してのことか。少し長いが引用する。

・覚悟 
 人生の区切り点における新たな決意。過去を否定する場合もあれば、過去を踏まえて軌道変更することもある。 
 個人的な改革であり、覚悟が必ずしもよい結果をもたらすとは限らない。人生の博打でもあり、射幸心が強い。
 ただし、覚悟なき人生は、句読点のない文章のようにのっぺらぼうになる。


スキー場の中腹で思い出す

2015年02月16日 | 雑記帳
 我が町に「祇園山」と名付けられた小さな山がある。
 その名前をネット検索すると、鎌倉や宮崎県などの地名、山名としてヒットする。
 ところが、それに「スキー場」と加えてみると、見事に本県本町にたどり着くことになる。

 その山では毎年、町内の小中学生のスキー大会が行われる。
 今年でもう40回を数えた。
 40回かあ凄いなあと思いつつ、自分の勤務年数を考えれば、3回か4回目あたりから関わりを持ってきたことに、改めてびっくりする。
 町内勤務が長かったので、毎年役員に駆り出されていた。何周年だかの時は貢献が認められて(笑)楯のようなものをいただいたこともある。


 さて、この日曜日、本校児童も参加するし、選手宣誓も行うというので、3年ぶりに足を運んでみた

 空模様はよくなかったが、大会を参観した午前中はまさにスキー日和。

 応援のために中腹まで登っていきながら、いろいろなことを思い出した。

 雪に埋もれた小屋があった。もう10数年は使われていないかもしれない。
 しかし、その場所は実に思い出深い。
 ストーブが1個だけ置かれている狭い6畳ぐらいのスペースだ。

 休日に子どもたちを連れて引率に来たとき、一人の女子高校生スキーヤーと語ったことがある。
 その子はスキー場の近所に住んでいて、小さい頃からスキーに励んだ。
 スキーの部活動が盛んな高校に入って、大会入賞など活躍も見せた。
 しかし、最後のシーズン、怪我をしてしまい、もう競技は止めて就職するのだと言う。
 旅立つ前に、一度ここで滑りたくてやってきたと語った。スキーについての思い出を懐かしそうに語ったことが印象的だった。

 あれから30年ぐらいが経つわけだから、もうとっくにいいオバサンになったことだろう。
 彼女も雪が降れば、この祇園山を思い出すだろうか。


 自分にとってとても恥ずかしく、よくもまあという思い出がある。

 新採用で若さに任せて子どもたちのスキー指導をしていた頃、たしか2年目だったろうか。
 前年度、別地区で開催された大会ではある程度の入賞者を出せたのに、その年、ここ祇園山で行われた大会では地元の小学生たちに圧倒され、全然駄目だった。

 「ナニをやっているんだ!」
 自分の指導力のなさを、子どもたちの努力不足と転嫁したかったのだろう。
 「帰りは、歩きだ!」

 スキーを背負って、スキー靴のままで!自分も一緒に歩き始めた。
 実は、そのスキー場から学校までは15kmほどある。無謀としか言いようがない。
 現実や原因を心の中で明らかにしようとする余裕がなかったのかもしれない。

 結果的には10kmほどのところでストップして、車に拾われた記憶がある。
 誰かに止められたのか、足を痛めた子がいたのか、定かではない。
 ただ覚えているのは、その日教員住宅に帰り、隣家で夕食を食べているときに、その家の主人(保護者の一人だった)から
 「歩かせるのはいいけど、スキー靴の底がねえ…」と呆れられたことは妙に印象に残っている。

 まったく感情に任せた、傍若無人なふるまいだったと思う。
 よく周囲もそれを許したものだと…。


 それから…と書き出せば、五つや六つはすらすらと出てきそうだので、ここでストップ。
 その隣地区の学校に勤めたこともあるので、この場所との密着度が高いから、そうなるのだろう。

 自分の思い出話の根っこにあるのは、寒かったり辛かったり、悔しかったり恥ずかしかったりする場合が多いようだ。
 雪国の人間だからかなあ、とスキー場の中腹で思い浮かんだ。

分けられないところまで分ける

2015年02月15日 | 読書
 注文した本は届いていないし、一週間ばかり書店にも寄っていないし…ということで書棚を眺めていたら、文藝別冊で「まど・みちお」の特集をした号の背表紙が目についた。

 ぺらぺらめくると、河合隼雄の書いた「魔法のまど」というページの端が折られている。
 ああ、あのことだなと思い出した。
 「分ける」と「分けない」ことについて、少し感じたことを書き留めたはずだった。

 このことは時々思い起こしておくべきだなと改めて思う。

 と、周辺のページをぼんやり読みだしてみて、河合の一つ前、詩人三木卓が「拾い屋さんの感想」と題して書いている文章に興味を覚えた。
 まどさんが「子どもと同じ視角」で書かれていることはよく言われているが、肝心なことはその継続である。三木はこんなふうに記している。

 まどさんはずっとその視角を保ち、深めながら書いてきている。


 そして「じゅくし」(熟柿)の詩を引用し、その見方の流れを想像しながら、こんなふうに結論づける。

 こういう想像力の働きは、世界を見る訓練からでてくるもので、けっして素朴というようなものではない。まどさんの世界への角度が、さまざまな種類と質の想像力を発揮するのは、その修練が長く続いていて、現実をふわけしていく、そのこまやかな切っ先がいつも光っているからである。

 この考えは、以前自分が書いたことを揺さぶる。

 徹底的に分けることを「ふわけ」と呼ぶならば、現実のふわけを通して、これ以上細かく分けることができない地点まで思考を及ぼさせることによって、万物は「分けられない」貌を見せていくというのか。
 「分けない」のではなく、「分けられない」ところまで「分ける」ことによってあの世界観が立ち上がってくるのかもしれない。

 詩人には近づくべくもないが、まどさんの書く詩のような一種の安らぎに憧れは感じる。
 そういう歩みをしたいなら、何より現実を、目の前の事物を、どんな角度で見るのかが決定的と言えるだろう。

 誰かに決められた角度でしか目に入らなくなっているとする状態は、しなやかさを失っているということだ。
 予防策は、自然にといったことではなく「訓練・修練」が必要であることを肝に銘じたい。

何でも日本食にしてしまう

2015年02月14日 | 雑記帳
 昔からの日本の食べものと思っているものも、
 なかなかそういうものでもなく、ある時期から広まって、
 だんだんと「あたりまえ」になってきたのだとわかる。

  (ほぼ日の「今日のダーリン」2/12より)

 トマト、ピーマン、キウイ…そして牛肉や豚肉のことを取り上げて、そんなふうに書いていた。
 当然のことではあるが、なかなか指摘されないと気づかないようなことでもある。

 ここで、和食そして日本食という呼び名も、ああ言葉と似ているなあと気づいた。
 一口に和食といっても、様々な食材や調理法は結局どこかから伝わってきたものに違いない。
 そして料理のジャンルはあるにしろ、それを包括してしまう呼び名も確かにあるようだ。

 歴史的なことを背負っていることはある程度わかるが、次の言い方にもひどく納得がいく。


 大衆的な「和食」ということなら、
 すき焼きやらとんかつ、カレーやら餃子やらだとか、
 スパゲティナポリタンくらいまで、
 まるごとみんな入れてもいいのではなかろうか。
 外国のどこかで、それが食べられないという意味では、
 上記のいろいろは、みんな「日本食」だ。



 ここにも全てを飲み込んでしまうような日本の姿がある。
 改めてすごいことなんだと感じる。

 「今日のダーリン」はこんなふうに文章を結んでいる。

 日本の食文化は、ものすごく自由で貪欲に輸入してきた。
 この感じ、実は食文化以外でも、同じかもしれない。
 そう考えると、日本って、すっごくおもしろいよねぇ。



 私達日本人の思考の中には、実は非常に柔軟な部分があるはずと元気づけられる気がした。

何でも日本語にしてしまう

2015年02月13日 | 雑記帳
 今日は妄想モードではなく…少しまともに読み、考えたことを。

 書家石川九楊氏が自著『日本語とはどういう言語か』の出版に際して書いた文章を読んだ。
 自著紹介の意味もあったのだろうが、その体裁は一つの説明文であって、冒頭部に次のような問いが入っている。

 本当に「日本語」という単一の言語は存在するのだろうか。

 著者は、小中高に「日本語」という教科がなく、「国語」としていることを指摘し、さらにその二つが同義でないことを述べている。
 そして大学受験科目としての「漢文」「古文」「現代文」があることの事実を重くみるし、それらは単なる歴史的な並びではなく、文字と切り離すことのできない関係であると言い切っている。

 そして問いに対応する結びをこう書いている。

 「国語」の受験科目は、日本語が、漢字語とひらがな語とカタカナ語の語彙と文体の入り交った言語であることを告げ続けていたのだ。

 いわば「集合体」としての日本語。
 これは明らかに増殖しているように見えるし、一方、最近の子どもの名づけに見られるように意味が繚乱しているような気もする。

 日本語の奥深さといえば聞こえはいいが、底なし沼のような気配が漂い、興味深く、考えさせられる事柄が次々に目に入ってくる感じもする。

 そう言えばと思い出したのが、先月号の「漢字雑談」という高島俊男氏の文章。
 「日本新名詞」と題して、明治期に出来たたくさんの熟語が中国に逆輸出?され、外来語として根づいているというような話だった。

 日本が西洋語を訳し作った熟語については、そんな情報を見聞きするたび、当時の発想の豊かさ、面白さに感心する一方である。
 今回も、えええーっ、知らなかったという情報があった。

 積極的の「的」は、英語の-ticを音訳した日本語である。

 そうか「音訳」という手もあったのか。
 音訳は、クラブを倶楽部、パリを巴里とするようなものと思っていたが、それだけではないのだった。

 日本人、恐るべしである。

 何でも日本語にしてしまう人こそ、日本人か。

 いや、言葉だけではない。それは…

好きな漢字から妄想モード

2015年02月12日 | 読書
 卒業式まであと一ヶ月あまりの六年生。学級担任の一人が研究会参加のため出張になり、その補充で久々に教室に出向いた。記念になる作品制作をしたいと話しておいたので時間をもらった。その内容はともかく、子らに作業させている時、ふと教室背面をみると一文字ずつの書写作品が掲示してあるのが目についた。


 ははあん、これは「思い出の一文字」「好きな漢字」だな。「勝」「友」「優」「夢」…んっ、これはと思ったのが「魂」である。そしてそういえばと思い出したのが、もう10年以上前に隣市の六年生が同じような活動をしたときに、同じ「魂」を書いた子が一人いたこと。そして、それは自分の六年生時もそうだったことだ。


 その折に感じたこと、思い出したことを旧ブログにも書いた。小学生(と言っても極めて一部だが)が何故この言葉に惹かれるのか。それは「大和魂」に象徴されるような気高い響きを持つことが一つあるだろう。さらに「鬼」が言入っている字体の見た目、そして何より精神的な意味合いの強さが挙げられるだろう。


 憧れの対象としての漢字…いい文化…と思いつつ、ふと先夜のお笑い番組R-1グランプリ決勝に出場した外国人「厚切りジェイソン」のネタを思い出してしまった。漢字をネタに「ホワイ、ジャパニーズピーポー、おかしいだろー」とツッコミを入れる。例えば「一、二、三」の次が「四」でパターンが崩れることだ。


 「銅」を取り上げ、「金と同じと書いて銅、同じじゃないだろう、どうかしてるぜ」といったパターン。例外事項や変化の多い漢字のでき方は、外国人にすれば厄介だし、ツッコミネタには絶好だ。「女が台にのって何が始まるんですか」も秀逸。…と妄想モード。そういえば、今六年生に書かせている文も一種の妄想だ。

何が伏線になるのか

2015年02月11日 | 読書
 【2015読了】19冊目 ★★
 『ダンスホール』(佐藤正午  光文社文庫)

 全5編。短編が4つと中編1つ(これが表題作品)で構成されている。名前は知っていたが、初めて読む作家である。冒頭の「愛の力を敬え」から読み始めたが、なんだか妙に読みにくい。これはなんだろうと読み進めていくと、ふと「冗長」という言葉が浮かんだ。文章そのものが長いということではなく、不必要な感じられる情報が目立つような気がした。


 例えばこんな文章。「その店はカタカナ表記にすれば『ワ―ズ』、看板の文字を正しく記せば『WORDS』という名前の店だった」や「スポーツ新聞の見出しには『吉岡引退』の文字があったが、吉岡が誰でどんな競技から引退するのか西聡一には想像がつかなかった」。当然作家としては意味を持たせたに違いないだろうが、どうも読み手の自分に伝わってこない。


 それを冗長と言ってしまうのは早計か。解説の池上冬樹はこんなふうに書いている。「背景はかなり複雑なのに情報を小出しにして関係と状況の一端を見せていく。この情報の提示の仕方が抜群である」。なるほど、そういう見方もあるのか。とすれば小出しにされた情報を関連づけられない読解力の問題か。見えてくる背景に自分が関心を持てないからだろうか。


 5編の作品にある人間模様は、特に劇的なわけではない。ただごく日常的、平凡なこととも言い切れない。一つ間違うと雑誌や新聞に載ってしまいそうな部分も見受けられる。いわばスキャンダルすれすれで留まっている不安定さが感じられる。もしかしたら、そういう部分の人間臭さといったものを自分は読みきれないのかな。経験か感性か,単なる未熟か。


 語り手、主人公を作家にした場合、実際に基づいた設定もあるだろうが、これらの小説はどうなのか。精神を病んでいたり、様々な問題を抱えていたり、そういった面倒さが端々に出てくる。そういう状況に照らしてこれらの作品を読んだとき、不必要と感じられた部分が人生の面倒くささとつながるのかもしれない。何が伏線になるのかは、人生もまた同じだ。

言ってきた「芯」を眺める

2015年02月10日 | 雑記帳
 入学説明会が近づいてきた。保護者に対してどんなふうに挨拶するか、これは大袈裟にいえば「芯」が問われるような気がしている。時間は短くとも明快にしたいと、ずっと原稿を考えたり、PPTの準備をしたりしてきたつもりだ。ずいぶんとベテランになり、今年で9回目かと思っていたが、調べたら違っていた。



 検索をかけて以前のデータを呼び出してみたら、2003年の原稿が残っていた。まだ教頭をしていた頃である。冒頭に「校長が現在体調を崩しており」という文章があり、ああと思い出した。山間部の小規模校で校長が病休だったときがあり、その時だった。そうなると、これが初めての原稿か。何を語りかけたのか。


 前段で、教育をめぐる状況説明をしている。「総合的な学習の時間」が入ってきたこと、コンピュ―タの導入、授業時間の弾力化、習熟度別指導、二学期制…今となっては懐かしい話題もあるが、やはりそのあたりが大きな変革期だったと思う。そんななかで、以下の二つのことを書いている。原稿から一部を引用する。


1 これだけは絶対に変わらないものという点は必ずあります。例えば「集団生活のルールを守る」「弱いものいじめをしない」「助け合って生きる」といったことです。そしてこれらは、本当に小さいとき(シングルエイジといわれる十歳まで)に身につけなければ、その後の成長に本当に影響すると言われています。


2 教育の方法というのはこれで100点ということは絶対にありません。一つは60点で、別の方法は50点という程度だと思います。問題はその10点差のメリットを信じてやっていく姿勢、もし思うようにいかないときは幅広く検討する姿勢です。そのためには、保護者の皆さんの理解が大きな支えになります。



 教育内容の焦点化、発達段階の重要性、教育実践を支える態勢づくり、といったことを話している。少し気張った言い方だが、小人数で顔見知りの多い地域としては妥当なところか。ここ数年の芯は「義務教育とは」が続いている。状況が多様になっているからこそ、揺らがないことを提示したい。もう10回目である。

「自分」に溺れない処方箋

2015年02月09日 | 読書
 【2015読了】18冊目 ★★★★
 『「自分」の壁』(養老孟司  新潮新書)

 名著『バカの壁』が、人間同士が理解し合うことは不可能という点を述べたとすれば、この著は「自分」という存在も完全に理解するのは不可能だということを述べたと言っていいかもしれない。「チョウの幼虫と成虫は別々の生きものだった」という、進化論から外れるような仮説にはびっくりした。そう考えると「体内の他者」という表現もイメージできる。


 「自分探し」を批判したり揶揄したりする論は、かなり以前からある。そのキャッチコピー的な文句は、個性尊重の教育推進には一定の役割を果たしたが、実態は何だったのか。「自分探しをしている自分は誰」という一言で全てが崩れるように、所詮、探すべき自分とは幻想であるし、他者の存在まで取り込んで形づくられる人格という認識を持ちえないだけだ。


 虫好きの養老ハカセが強調するのは、自然と共生できる文化である。そして、もともと日本という国がその面で好条件をもち、長い歴史を培ってきたことにも改めて気づく。社会構造として確かに封建制が長く続き、階級差別もあったにしろ、欧米とは違った意味での多様性も大きく残っている。「日本のシステムは生きている」と書く第五章は読み応えがある。


 なるほどと膝を打ったのは次の一言である。「『まあまあ』という考え方には、実は『不信のコスト』を下げる知恵という面もあったのではないでしょうか」。古臭い、慣れ合い主義と批判される向きもあろう。しかし今風に言えば「折り合い」をつける積極的意義の一つとして、大多数で進んでいくことにより一定の信用維持ができるだろう。合理的な判断である。


 以前は「これが本来の仕事だろうか」とついぼやいてしまうこともあった。最近そう浮かんでこないのは、諦めということでない。この著にいみじくも書かれている「状況と仕事が一体である」「状況も含めて仕事だ」と感じていることが強い。現状に身を任せるのではなく、自分を軽くすることによってより鮮明に見えてくる状況もあり。仕事の筋が明確になる。