日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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少年時代に行き来した池や山

2014年08月16日 | 紀  秩父のあっちこっち

関耕地の溜池
           過ぎ去りし日の想いにふける

釜の上、上の耕地の田んぼを潤すための用水が山奥にありました。
しかし、上記耕地はブドウ畑や園芸に転作、用水としての重要度は、昔と比べて少なくなった。そして貯め池奥はスギやヒノキの黒木、クヌギやクリなどの薪炭材生産地でしたが、
近代化が進み殆どがゴルフ場化して大人の遊び場になりました。


池の堰堤を下から眺める


ゴルフ場のコンクリートの砂防堰堤


池の全体

 


池の奥地に山を所有していたので植林、下刈りに行き来した。
この奥地に、バブル全盛時代ゴルフ場が造成された。


釣り人の親子が居ました。ブラックバスが釣れるそうです。

♬ウサギ追いしあの山、
       小鮒釣りしかの川

コメ欄は締めています。 

 

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秩父事件、井上伝蔵の隠れ家(蔵)を訪ねる。 その2

2014年08月16日 | 紀  現場にアタック、何でも

 死ぬ直前に一部始終を家族に語る。

潜伏先(蔵の中)に、二年間

事件の直後、数日潜伏の後、
伝蔵の実家と村役人仲間で親しい間柄だった実家近くの

下吉田村関の斎藤家の土蔵の二階に二年間匿われていた。

ところが、蔵の中で息を潜めていたのではなく、六法全書を読み、

階段を昇り降りして身体を鍛えていた。

井上伝蔵の告白から

大正7年6月24日、事件逃亡を続けていた会計長井上伝像は、
逃亡先の北海道で亡くなりました。


伝蔵は『伊藤房次郎』という偽名を使い、籍を入れなかったものの
妻子をもち暮らしていた。


亡くなる直前、家族に対して『井上伝蔵=欠席裁判で死刑の宣告を受けた、首謀者である』
と告白して、新聞記者に秩父事件の真相を包み隠さず語った。


伝蔵、臨終の床、草の乱からお借りしました

その述懐は、大正7年7月4日から8月2日まで『釧路新聞』に掲載され、
大きな反響を呼びました。

 

 

 井上伝蔵の詳細については、ここです

 

コメント (9)
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