江戸東京博物館にて復元
常設展示
模型は、いずれも江戸初期を伝えるものです。
大きな日本橋を渡ると、突き当りが大名屋敷、右隣が町人町です。
日本橋北詰付近の町人町、「寛永の大名屋敷」とほぼ同じ面積にして復元して有ります。
敷地が広く多くの建物が建っていた大名屋敷にくらべ、町人の家は一軒一軒が小さい。
江戸時代の町人町をお楽しみください。
一般に、長屋の土地・建物の所有者と、
その所有者に代わって貸地・貸家を管理する大家がいたようです。
大家は、一番大きな家に住み、家賃を徴収し、また店子の身元保証人になったりして、
いろいろ世話役をしたようです。
「大家を親と思え、店子を子と思え」ということわざがありますが、
大家を含めて長屋住人の絆は極めて固かったようです。
長屋は、地域の理想的なコミュニティだったのかもしれません
江戸の土地利用は、武家地60%、寺社地20%、町方地20%と言われています。
江戸の人口は、武家方約50万人、町方約50万人と言われていますので、
町人は狭い土地に」密集していたわけです。
そのため、長屋が発達したわけです。
(江戸東京探訪より)