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江戸・寛永の町人地  

2014年11月21日 | 技術  道具・伝承・歴史

江戸東京博物館にて復元
常設展示

  

模型は、いずれも江戸初期を伝えるものです。
大きな日本橋を渡ると、突き当りが大名屋敷、右隣が町人町です。

日本橋北詰付近の町人町、「寛永の大名屋敷」とほぼ同じ面積にして復元して有ります。
敷地が広く多くの建物が建っていた大名屋敷にくらべ、町人の家は一軒一軒が小さい

江戸時代の町人町をお楽しみください。

                ←江戸図屏風(複製)
この絵図を基に町人人地を復元

 

 

 

 

一般に、長屋の土地・建物の所有者と、
その所有者に代わって貸地・貸家を管理する大家がいたようです。

大家は、一番大きな家に住み、家賃を徴収し、また店子の身元保証人になったりして、
いろいろ世話役をしたようです。

「大家を親と思え、店子を子と思え」ということわざがありますが、
大家を含めて長屋住人の絆は極めて固かったようです。

長屋は、地域の理想的なコミュニティだったのかもしれません

江戸の土地利用は、武家地60%、寺社地20%、町方地20%と言われています。
江戸の人口は、武家方約50万人、町方約50万人と言われていますので、
町人は狭い土地に」密集していたわけです。
そのため、長屋が発達したわけです。

                                     (江戸東京探訪より)

 

 

 

 

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