寅さん&草団子
矢切の渡しに足を伸ばしました
DBに纏めました。
柴又駅前
柴又の草団子
縄文人荒川下り人生物語≪創作秘話 ≫
私、 生まれも育ちも埼玉・秩父でゴザンス。
農家の次男坊で、
小糠を3合持ったら婿には行くな!
葛飾柴又で、一肌挙げようと流れ流れて住み着いた、縄文人でござんす。
姓は、知知夫国、名は縄文と申す者。
秩父(知知夫)のふるさと荒川を筏で下り、柳行李ひとつを積み、
定めのない旅に出たのが六十年前でゴザンシた。
荒川と申せば、荒ブレ川、わが人生も艱難辛苦、あるときは喧嘩をしたり、
あるときは彷徨い歩き、東西南北の人生でござんした。
わが人生、荒川の岸から始まったと言っても、過言では有りません。
筏で下り発つときは、秩父の渓流の岩に突き当たり・しぶき・荒波・淵・座礁・
沈没の数々、まさに人生の極み苦難が多き門出でした。
隅田川に差し掛かると,流れがまったり、ゆったり、うたた寝をしているうちに、
東京は両国橋、船着場に接岸していたのでした。
右に行こうか左にするか、此が運命の分かれ道。
柴又の草団子の匂い、ふうてんの寅さんにに惚れ込んで、
筏を捨て草鞋で、葛飾柴又へ、歩を進めた輩でゴザンス、
お見知りおきを・・・。
われ呼んで 縄文人と申します。
柴又帝釈天・矢切の渡しへと馳せ参じた。
川を眺めると
”おしん”じゃ御座んせんが、筏と故郷が目に浮かぶんで・・・。
知知夫 縄文人
デジブック
『葛飾柴又矢切の渡し』