皆さんからの聞き取りを基に
都内には珍しい神社
新中川に架かる『八剣橋』
鳥居と御輿倉庫
昭和47年に社殿を造営した。
社有地を処分(新中川新設掘削工事にて買収)し資金の一部に当てた。
八剣神社本殿
境内では、ラジオ体操が行われ朝はにぎあいます。
立派な〆縄
八剱神社の由緒
天文5年(1536)三河国碧南郡西端村の郷士杉浦小左衛門が当地を開拓するにあたり、守護神として勧請したものと伝える。
旧奥戸新田の鎮守である。天明4年(1784)の「奥戸新田村鑑」に載せる神社の書上げに次の記事がある。
惣村鎮守は八剣大明神にて、六尺四面、別当宝蔵院にて、御捨地2畝歩、此分は御水帳に反歩無之候へ共、享保11年御改之節、2畝歩と書上候。勧請年号は不相知候ヘ共、三河国より杉浦左衛門と申者勧請致候由、鎮守棟札に有之候。往古より社萱葺に候所、安政7年5月、本所こけら屋根に致し、上屋建立したし候。同年9月、石鳥居村方惣若者かかりにて建立いたし候。末社院来大神有之、神酒二月奉、社は6月15日祭礼、9月13日一年に三度宛、神酒捧申候。
社殿は、寛永6年(1629)9月、正保4年(1647)、安永7年(1778)5月、文久3年(1863)9月、明治41年10月に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年10月の造営である。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)
レポートメモ
◎、ここ八剣神社には宮司は居りません。
新小岩にある於玉稲荷神社に居り、何か行事や所用のときに出向いて来ます。
その宮司である、Mさんから教えてもらいました。
①、この神社の本宮は、愛知県の熱田神宮で分社されたのです。
愛知県三州(三河)地方は、三州瓦として良い屋根瓦の産地です。
その昔、葛飾区内でよき粘土質の土質が瓦に適したとのことでした。
三河の人が、葛飾の地に来て焼き物をしたようです。
最近まで区内に今戸焼きというのがありました。都市化の波で影を潜めてしまった。
この今土焼きの跡を『郷土と天文博物館で発掘調査した資料があります。
②、八剣神社周辺に、”杉浦”の姓がたくさんあり、古い家は杉浦姓といっても過言ではありません。
杉浦の姓は、愛知県が多くこの流れを汲んでいると、ある古い家の杉浦家の長老は語っていた。
③、八剣神社は、関東地方には珍しく、中部地方に最も多く九州地方にもあるという事でした。
◎ ≪八剣神社と三州瓦、≫≪八剣神社と杉浦・愛知地方の姓≫
神社から周辺の起こりを考察するのも面白い。住む地域に対して一層結びつきが強くなる。
◎、神社には、寺とはまた違った楽しみ方があります。
それは目に見えない神様の存在を感じ 、正しい作法でお参りすれば、心も引き締まります。
コメ蘭は締めております。