「桜祭り」がやってくる
菜園に行った後、里見公園を覗いた。
何時も閉っている茶店があいていた。
看板を磨いたり、掃き掃除に余念がなかった。
あちこちの掲示板に『桜まつり』の 、お知らせが掲示されていた。
掲示されていた桜祭り
梅が満開
ボンボリも飾りつけた。店も整いました。後は桜が咲くだけです。
近くの町会の切り盛りであろうか・・・? 荷物を積んだトラックが2~3台駐車
さくら開花予想
☆ お花見はお手て繋いで孫と行く
☆ 杯に 花びら落ちて 酒を盛る
コメ欄 締めてます
「桜祭り」がやってくる
菜園に行った後、里見公園を覗いた。
何時も閉っている茶店があいていた。
看板を磨いたり、掃き掃除に余念がなかった。
あちこちの掲示板に『桜まつり』の 、お知らせが掲示されていた。
掲示されていた桜祭り
梅が満開
ボンボリも飾りつけた。店も整いました。後は桜が咲くだけです。
近くの町会の切り盛りであろうか・・・? 荷物を積んだトラックが2~3台駐車
さくら開花予想
☆ お花見はお手て繋いで孫と行く
☆ 杯に 花びら落ちて 酒を盛る
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ほうれん草、ブロッコリー、小松菜
暖かくなると野菜が一気に伸びる。
折角ここまで面倒を見たのだから、時期を逸しないように
収穫しよう。
???菜の花
暖かさも増して大きくなりました
ほうれん草
小松菜
ブロッコリー
しばらく野菜三昧になりそうです。
コメ欄 締めてまし
常陸国総社宮
常陸國の国府が置かれた時代,
石岡は政治・文化の中心地として繁栄を誇っていました。
国府の長官は国司と呼ばれ,
その重要な任務の一つに,国内の神社の管理と祭事の運営とがありました。
新しく就任すると,国内の各神社を訪れて神々を参拝する「神拝」という行事がありましたが,
この「神拝」を簡略にするため,国内の神社の神々を一同に集め祀ったのが「總社」でした。
あなたの街の歩き方 × □□□ 「歴史、食べ物、祭り、神社仏閣、
写真、祭り、看板、古木、探訪、ウオーキング?!」
縄文人、見るもの全ててす。
手水舎
デジブック
『常総国総社宮神社』
「大祭の画像」2枚総社宮からお借りした。
現代・中世・古代
あれから3年 現代・過去・未来
現代・過去・未来 あの人に逢えたなら
そんな事なんて、あろうはずがない
3・11、東北大震災で多くの人命が亡くなった
見た!!流れ行く家、、町、地域
アア~・・・、アア~・・・家が、人が・・・と、言葉にならない言葉、
血の滲む心の叫び、生死の呻き
現代・過去・未来
人は、世に生を受け、人生80年
過去を振り返るのは易い
自分の時間を「現在のため」、「未来のため」、
14:46分 津波は一瞬のうちに吞み込みすべてを無に
過去は遠い彼方に、流がされた荒野の現実のみが存在する
瓦礫は、未だ完璧の片付けとは言えないようだ
絆、絆、絆、とあれほど言われた、当時
各自治体に於いて、いかほどの受け入れたか?
多くの自治体がNOを突きつけた。
”絆”が淋しい
ガンバロウ日本!頑張ろう東北
掛け声のもとに、何を施したか
我が尽くしたことは
義援金を被災地に向けて振り込んだだけ
恥ずかしい、申し訳ない、すまない
3・11から3年
東北の物産を買い求め、経済の活性化
小さな一歩 集えば大きな一歩
必ず襲うであろう・・・
都市直下型大地震、南海トラフ巨大地震
学者先生が唱える
しかし、これを予測し知る者は誰もいない
天災は、忘れたころにやってくる
ウオッチング寄せ集め
石岡市内ぶらぶらウオッチング、目に入った面白いものにカメラを向けた。
何でも見てやろう!?脳の活性化&好奇心。
寄せ集め、探し集め、拾い集め。
各町会にそれぞれ個性的な獅子が有ります。
幌獅子は全国でも珍しいもので,石岡のお祭り特有なものとなっています。
カタコトカタコトの音!? そば粉挽機械 道路に丸出しの竹林、風情を感じた
醫 院 ⇒ 医 院
旧いお医者さんで昔から信頼されている名医と推察した。
当用漢字は、 昭和21年1月5日に国語審議会 が答申し、
同年11月16日に告示した「当用漢字表」に掲載された1850の漢字を指す。
1 茅葺屋根の電話ボックス。ガラスに映る景色がイメージを醸し出す
2 考える人? エエエエエ・・・・考えさせられる人!??
3 神社にあったイカリ 霞ヶ浦が近い、湖で使用???
4 石岡市マンホール、獅子は石岡市のシンボル
観光案内所座り雛
宮城県(被災地)の海苔
職場の同僚からいただいた、海苔とワカメ。
この方は、震災1年後に被災地を訪れて被災状況を目の当たりにして来た。
その思いが強く残っていたのでしょう、束で買い求めてきて同僚に配った。
詳細は聞かなかったが、
きっと惨状を見てきていたので一日も早い復興を願ってのことでしょう。
あれから3年がたった。
ガンバレ東北一日も早い復興。
作業日・3/9(日)
作業終えほっと一息、元肥を気張った
昨年の収穫は今一でした。
今年は、腐葉土、化学肥料をたっぷり敷込み、植え付け時に油粕を施す。
昨年は2/25に植えつけた。
しかし連作障害が心配だ
左・男爵=50株 右・インカノメザメ=60株
畝を1週間前に準備しておいた。元肥に腐葉土と配合肥料を施した。
60cm(畝)×30cm(株間)で植え付けました。
株間に油粕を施した。
ヤレヤレ一段落ホッツト一息・・・・
発芽が楽しみだ!!
付録
今ある畑の野菜
キャベツ 小松菜
ほうれん草 ブロッコリー
町家造り・看板建築の家
間口が峡い、奥行きが深い
京都の街、職住一体型の住居形式。
この様式としては町家造りと呼ばれる。
町家の立地する敷地は、
間口が狭く奥行きが深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれる。
これは三間(約5.4m)の間口を一軒役として課税する。
税制に反発した形状であるという説がある一方、
街路に都市住宅、とくに併用住宅が建ち並ぶ際には
古今東西でこのような細長い敷地の町並みが成立している。
京都に限らず各地においてもその形状が課税のせいだとする俗説がある。
(ウィキペディヤ百科辞典から)
石岡市の看板建築の家も
間口が峡く奥行きが実に深い
文化財指定の石碑
福島屋砂糖店の軌道
砂糖袋の運搬は重く、このような軌道運搬が・・・・・・。
町並みを見て歩くと奥行きが、実に深い。
奥手には、倉庫や立派な土蔵を見かけた。
看板建築を見て歩く
NHK『小さな旅』を見た
リーダーからの発案でした。表題は『たいせつな看板』
石岡市内は、
茨城県の中部にあり、その昔常陸国府・国分寺が置かれていました。
・・・・・・・・・・・・・霞ヶ浦を拠点として、繁栄した。
昭和4年3月石岡の大火が発生で、火は瞬く間に広がり町の中心部を焼き尽くした。
その後、
道路の拡張やを見習った左官職人が集まり、大火から3年で町が復興された。
その当時の看板建築が、現在も30軒ほど残っています。
大和田家の文化財
十七屋履物店文化財
平野理容店文化財
左右同じ建物です
街をウオッチングしながら歩きました。
看板建築とは、
建物の前面を垂直に立ちあげ,モルタルや銅板,タイルなどで洋風の
デザイン装飾を施した建物をいう。
2/27(木)歩く
小雨けぶる梅園を歩く
横浜の豪商が開いた梅園が始まりです。
初川沿いに広がる約4万4000平方mの園内に、
冬至梅、八重寒紅などの梅が464本植えられ、1~3月にかけて咲き継ぐ。
毎年1月中旬~3月上旬は梅まつりで大変賑わう。
入り口の石碑
天空の郷も雨でけぶる
梅園の笹が彩りを添える
渓谷美の中に、多種多様の花が咲きお見事でした。
真ん中を流れる初川が、一層趣を添えて見る人を飽きさせなかった。
デジブック
『熱海梅園祭り』
拙劣な作品ですがご覧ください。