和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

想定外の20年。

2013-02-24 | 短文紹介
岩井克己著「天皇家の宿題」(朝日新書)の序章は
こうはじまっておりました。

「私が社会部の宮内庁担当を命じられたのは、昭和61年(1986)2月、38歳の時でした。大学で経済学を専攻した私にとっては、社会部に配属されたこと自体、志とは違っていました。ですから社会部でも、せめて建設省や運輸省といった霞ヶ関の中央官庁の担当を、と希望していました。それが中央官庁でも、宮内庁など全くの想定外です。なにしろ『天皇制は日本の諸悪の根源』と言わんばかりの歴史書や論文を読んでいた団塊の世代です。『せっかくのお話ですが、考えたこともありません』と、最初は抵抗しました。でも、社会部長から『君、宮内庁は「やりたい」という記者では困るんだよ』『まあ二年ほどだから』と説得され、そういうものかと思って引き受けました。それが20年も担当することになるとは、思いもよりませんでした。そして、20年間見つめ続けても、いまだによくわからないのが皇室です。5年目くらいから『これは総合社会学だな』と考えるようになりました。あと何年生きられるかわかりませんが、死ぬまで極めることはできない対象だと思っています。」(p13)

第四章のはじまりは

「私の皇室取材駆け出し時代は、浩宮(現皇太子)との登山に明け暮れたような気がします。それが彼との出会いであり、またほぼ同じ時期に雅子妃とも出会いました。昭和61年だけでも、棒ノ折山(六月)、四阿山(八月)、南アルプス荒川三山(同)、利尻山(同)、八ケ岳(同)、平ケ岳(十月)。・・・・
これらのほとんどに同行登山し、時には山頂で親しくウィスキーを酌み交わしながら懇談したこともありました。」(p155)

おざなりの言葉や、公式の言葉で、皇室をくくる愚をおかすことはしない、読み甲斐があって「心にひびく」新書一冊となっておりました。うん。読んでよかった。
コメント (2)
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