和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

同級生たち。

2013-02-16 | 短文紹介
曽野綾子著「この世に恋して」(WAC)は、読んでよかった。
その関連で、「歴史通」2013年3月号の
「アッキーのスマイル対談」(p128~)を読んだのでした。
17ページほどの対談を読んでよかった。
総理夫人・安倍昭恵(あきえ)さんと曽野綾子さんの対談。
ちなみに、安倍昭恵さんの略歴に
「聖心女子学院初等科・中等科から聖心女子専門学校へ」とあります。

曽野】 ・・目の不自由な方たちとイスラエルなどへ行く聖地巡礼の旅を53歳のときに企画しました。ボランティアですから、目の見える方も見えない方も同じ旅費を払って、一緒に旅行します。この旅は2006年まで、23回続いたのですが、初めて昭恵さんに来て頂いてイタリアに行ったのは、このボランティア旅行でしたね。
・ ・・・・・・・・
安倍】 あれが2003年で、翌年にアフリカのマダガスカルと南アフリカへ連れて行っていただきました。
曽野】 マダガスカルというのはなかなか大変な国なんです。あの時も行けない都市はありましたけど、アフリカというのが地球上で経済状態が一番悪いから、それを見ていただくのもいいなと思いました。昭恵さんなら、将来、いいところはほっておいてもいくらでもごらんになれる・・・・

「海外邦人宣教者活援助後援会(JOMAS=ジョーマス)」にふれた箇所があります。

曽野】 そうですね。JOMASはNGOですが、40年間務めさせてもらって計画通り退任しました。そもそもJOMASは、私がマダガスカルの修道院にある産院を取材させていただいたときに、あまりの現実の悲惨さと貧しさを知り、それを書いた小説や私の話で知った知人たちが、お金を送ってくれるようになったことが始まりなんです。・・・・私が代表となり、聖心女子学院時代からの同級生たちが手伝ってくれました。活動としては、海外に住んで活躍している修道女と神父さまがやっていらっしゃる事業に、直接お金を支援することです。実働したのは聖心女学院時代の友人で、私と同じ年代の四人だったのです・・・ちなみに、受けたお金を無駄にしないことが大切ですから、事務の経費は私や仲間が負担し、寄付は全額援助にまわすという原則を決めました。

シスターたちについても引用しておきます。

安倍】 ・・日本のシスターたちは素晴らしいですよね。・・・
曽野】 この間もまた一人チャドで亡くなったんですよ、現地で。でも、ご遺体なんて持って帰りません。全部そこで埋葬するんです。たとえば大使館はもちろんですが、政府の機関に仕えるところや、青年協力隊も何かあったらすぐに引き上げます。それは当たり前ですよね。命が危険にさらされるわけですから。でもシスターたちは帰りません。だから帰ってしまうようなところに我々はお金を出せないわけです。マダガスカルの場合は、外科室をシスターたちが管理していますから、それで昭和大学のドクターが手術をできるわけです。ボリビアの場合ですが、私たちは青年協力隊に外科室の修理を託したんですが、政変があったときに青年協力隊がすぐに帰ってしまったので、国立病院が管理することになりました。通常、国が管理するとめちゃくちゃになるのですが、そこはイタリアの修道会が入って見張っていてくれたので大丈夫でした。
やはり修道会というのは命を懸けていますから、外国の修道会でもちゃんとやるんですね。それを私は見て育ったものですから、人生に対する見方がちょっと違うんです。
ちなみに、マダガスカルの修道女は70代ですし、チャドにいたっては83歳か84歳が現役ですよ。
安倍】 シスター自体も若い方はほとんどいなくなっていますよね。日本の修道会も養老院のようになってきていて。・・・・



うん。なんだか、曽野綾子自伝「この世に恋して」の続篇を読んでいるような気分になります。
コメント
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