和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

これは恐らく。

2013-02-04 | 前書・後書。
注文してあった古本とどく。

モンサラット著・吉田健一訳「怒りの海」(新潮社・上下巻)。
じつは、「非情の海」という本は、
以前購入してあったのですが、そのままに、読まずじまい。
その本を、さがしても見あたらず。
同じ本なら別の題名のを購入しておこうと、思ったわけです。
また、未読本がいつ出てくるかわかりませんからね。
なんてったって、読まずにいた自分が悪い(笑)。

古本屋はマイブック(高槻市)
古本代上下巻で2000円+送料300円=2300円
昭和28年の本なので、黄ばみと匂いもありました。


さっそく訳者「あとがき」を読む。
その最後には、こうあります。

「・・再びもとの比較に戻って、同じリアリズムを集中的に活用して一つの人間的な真実に達した『西部戦線異常なし』や『戦艦大和の最期』を、小説の形式を借りた一種の悲劇と見るならば、『怒りの海』は寧ろ叙事詩的な正確を持った作品であると言える。これは恐らく、今度の大戦が生んだ最大の叙事詩である。 昭和27年12月 訳者」


これだけじゃ、あまりにそっけないですので、
「あとがき」のこの箇所も引用。

「・・・『ヒロシマ』や『裸者と死者』や『二十五時』のような小説が現れて以来、近代戦の惨禍のみが強調されて、人間はそういうものを前にしては全く無力であり科学の暴力に屈した人間が如何に醜悪で卑屈なものであるかを語ることが定石となっているのに対して『怒りの海』では、人間が最後まで・・・人間たることを失っていないということなのである。ここでは・・人間の死に対して人間が、或いは少くとも我々読者が無感覚にされるということはない。涙があり、温かい感傷があるというのではなく、人間の死を人間の死として認める健康なリアリズムがこの作品にはある。そして事実、人間はこのようにして最後まで戦い、又生き抜こうとするものなのである。・・彼等は、小説家の悲観的な感傷の犠牲に供せられてはいないのである。」


うん。今度は、読みます(笑)。
コメント
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