今日は、「新潮45」の発売日。
巻頭随筆は徳岡孝夫。そのつぎに曽野綾子の連載。
そしてつぎが山折哲雄氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という9頁の文。
岩井克己著「天皇家の宿題」(朝日新書)に啓発されたという箇所があります。
まずは、そこの引用。
「・・それを読んで私は大いに啓発された。皇室問題を検証するのは、まさに『総合社会科学だな』と書かれていたのも面白く、心にひびいた。現在の天皇・皇后両陛下が大規模災害の直後の被災地を見舞うようになったのは平成になってから、という指摘にもハッとしたのである。」
う~ん。皇太子の際には、見舞わなかったのかなあ?
そこいらは、ちょっとこの新書を読んでみないとわからないなあ。
「平成三年(1991)七月、雲仙普賢岳の火砕流被災地への訪問を皮切りに、平成五年の北海道南西沖地震で津波の被害をうけた奥尻島、平成七年の阪神淡路大震災の被災地、そして今回の3・11の大災害で東北の被災地へと、その慰問と励ましの旅は国民のそば近く身を寄せ、犠牲者のために祈りを捧げるというスタイルを貫かれていた。沖縄への慰霊の旅もその一環だったと考えられるだろう。」
「とりわけ私が岩井氏の本によって教えられ、胸を衝かれる思いをしたのがつぎのようなエピソードである。」
「現天皇がまだ皇太子時代、報道機関から天皇の理想のあり方を問われたときのことだ。『伝統的に政治を動かす立場にない』として、平安時代の嵯峨天皇以来の『写経の精神』を挙げられたという。自らの身近な祖先である明治、大正、昭和の近代の天皇、つまり帝国憲法下の天皇は、いまや戦後の象徴天皇のモデルにはなりえない。むしろ天皇家が衰微していた遠い過去の時代の天皇に『象徴』としての理想像を求め、人々にじかに精神的な慰めや励ましを与える存在であろうとする、そのような現天皇の静かな決意が、そこにはあらわれていたのではないかと、氏はかいていた。」(p23)
ここから、現皇太子の問題へと展開してゆくのでした。
昨日読んだ「約束の日 安倍晋三試論」では、朝日新聞への冷静的確な指摘があり、ハッとさせられたのでした。
どうして雑誌には、そういう包括的な指摘ができないかというのを、「新潮45」の玉木正之氏の文「スポーツは本来『暴力』とは対極にある」を読みながら、あらためて考えさせられます。
「日本のメディアは、ことスポーツに関する限り、ジャーナリズムとしての報道や批判以上に、主催新聞社や後援放送局としてスポーツに関わっているケースが多い。」
「高校野球で、それを主催するのは朝日新聞社や毎日新聞社。従って問題の本質に迫る高校野球批判は、系列のテレビ局も含めて、なかなか表立っては出てこない。」
「全国高校サッカー選手権の決勝戦が大雪で延期され、センター試験と同じ日に行われたことも・・・日本テレビ系列などの民放43社が主催し、読売新聞が後援するなかで、ジャーナリズムは、真っ当な批判を展開できなかった。」
「他にも様々なスポーツ・イベントがマスメディアと結びつき、スポーツ・ジャーナリズムは機能しないことが多く、日本のスポーツや体育は、大きく歪められている。・・」(p77)
昨日書き込んだブログの「約束の日 安倍晋三試論」について。
読後に明快になったひとつは、大きく歪んだジャーナリズム朝日新聞を正々堂々屈託なく批判展開していることでした。それが、雑誌などからはうかがい知れない眺望として読めたのでした。文芸評論の地平が、現代社会・政治へとひろがったという手ごたえを昨日はもったのでした。と、今日になって書き足しておきます。
巻頭随筆は徳岡孝夫。そのつぎに曽野綾子の連載。
そしてつぎが山折哲雄氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という9頁の文。
岩井克己著「天皇家の宿題」(朝日新書)に啓発されたという箇所があります。
まずは、そこの引用。
「・・それを読んで私は大いに啓発された。皇室問題を検証するのは、まさに『総合社会科学だな』と書かれていたのも面白く、心にひびいた。現在の天皇・皇后両陛下が大規模災害の直後の被災地を見舞うようになったのは平成になってから、という指摘にもハッとしたのである。」
う~ん。皇太子の際には、見舞わなかったのかなあ?
そこいらは、ちょっとこの新書を読んでみないとわからないなあ。
「平成三年(1991)七月、雲仙普賢岳の火砕流被災地への訪問を皮切りに、平成五年の北海道南西沖地震で津波の被害をうけた奥尻島、平成七年の阪神淡路大震災の被災地、そして今回の3・11の大災害で東北の被災地へと、その慰問と励ましの旅は国民のそば近く身を寄せ、犠牲者のために祈りを捧げるというスタイルを貫かれていた。沖縄への慰霊の旅もその一環だったと考えられるだろう。」
「とりわけ私が岩井氏の本によって教えられ、胸を衝かれる思いをしたのがつぎのようなエピソードである。」
「現天皇がまだ皇太子時代、報道機関から天皇の理想のあり方を問われたときのことだ。『伝統的に政治を動かす立場にない』として、平安時代の嵯峨天皇以来の『写経の精神』を挙げられたという。自らの身近な祖先である明治、大正、昭和の近代の天皇、つまり帝国憲法下の天皇は、いまや戦後の象徴天皇のモデルにはなりえない。むしろ天皇家が衰微していた遠い過去の時代の天皇に『象徴』としての理想像を求め、人々にじかに精神的な慰めや励ましを与える存在であろうとする、そのような現天皇の静かな決意が、そこにはあらわれていたのではないかと、氏はかいていた。」(p23)
ここから、現皇太子の問題へと展開してゆくのでした。
昨日読んだ「約束の日 安倍晋三試論」では、朝日新聞への冷静的確な指摘があり、ハッとさせられたのでした。
どうして雑誌には、そういう包括的な指摘ができないかというのを、「新潮45」の玉木正之氏の文「スポーツは本来『暴力』とは対極にある」を読みながら、あらためて考えさせられます。
「日本のメディアは、ことスポーツに関する限り、ジャーナリズムとしての報道や批判以上に、主催新聞社や後援放送局としてスポーツに関わっているケースが多い。」
「高校野球で、それを主催するのは朝日新聞社や毎日新聞社。従って問題の本質に迫る高校野球批判は、系列のテレビ局も含めて、なかなか表立っては出てこない。」
「全国高校サッカー選手権の決勝戦が大雪で延期され、センター試験と同じ日に行われたことも・・・日本テレビ系列などの民放43社が主催し、読売新聞が後援するなかで、ジャーナリズムは、真っ当な批判を展開できなかった。」
「他にも様々なスポーツ・イベントがマスメディアと結びつき、スポーツ・ジャーナリズムは機能しないことが多く、日本のスポーツや体育は、大きく歪められている。・・」(p77)
昨日書き込んだブログの「約束の日 安倍晋三試論」について。
読後に明快になったひとつは、大きく歪んだジャーナリズム朝日新聞を正々堂々屈託なく批判展開していることでした。それが、雑誌などからはうかがい知れない眺望として読めたのでした。文芸評論の地平が、現代社会・政治へとひろがったという手ごたえを昨日はもったのでした。と、今日になって書き足しておきます。