定期購読のWILL4月号が、今日、ポストに届く。
100号記念の特大号。
タイムリーなのが
堤尭・久保紘之対談「蒟蒻問答 第83回」。そこに、
予算委員会での石原慎太郎氏を話題にした箇所がありました。
うん、うんとうなづきながら読みました(笑)。
堤】 ・・・12日の予算委員会見ましたか?
石原慎太郎が質問をしたけど、久し振りに面白かったなぁ。(p245)
堤】 ・・石原が最後のほうで環境問題について聞いたら、安倍が「環境問題は大事な問題で重視している。だからこそ、息子さんの石原伸晃議員を環境相に任命した」と返したのは秀逸、余裕の答弁だったね(笑) (p246)
そして、この号の対談の最後を引用しなくちゃ。
堤】 それにしても、予算委員会で安倍と麻生が並んで坐っている。片や吉田茂、片や岸信介の孫だ。鳩山一郎の孫はロクなものじゃなかったけど(笑)、まんざら世襲も悪いものじゃないとわかるね。
久保】 世襲自体は悪いものではありませんよ。大事なのは、先代の教育如何にかかっています。たとえば、細川護貞は息子である護煕を常に「彼」と呼び、首相になった時に「彼は、新聞の見出し的人間ですから」と冷徹に突き放して分析した。つまり首相になれる資格じゃない、と言っているんです。さすが細川幽斎の血統は違うな、と僕は思わず唸ったものです。これは逆説的な帝王学と言えるでしょう。・・・・(p251)
世襲といえば、
渡部昇一氏の連載「書物ある人生」は、この号で
高田保の「ブラリひょうたん」をとりあげておりました。
そこに
「随筆の他に、高田保には『二つの椅子』と題する対談集がある。・・・幸田文とか辰野隆などの対話は、いま読んでも面白い。たとえば、いまの内閣の名前を聞かれても言えないから、歌舞伎の役者のように何代目を使ったらどうかという提案が出たりする。外務大臣なら何代目小村寿太郎とか。文部大臣なら二代目森有礼と言ったら、当時、問題があった国語国字廃止などには名実ともにピッタリするという。
現在でもこれ式に、デフレ脱却を目標にしている安倍内閣の財務大臣の名前が二代目高橋是清と言ったら、なるほど面白いだろう。いまの政治家の誰かがこの何代目になるような改名をやったらどうなるだろうか。誰か自分の尊敬する政治家の二代目を襲名する形にするのは不可能だろうか。ナポレオンにも三世くらいあったはずだ。安倍首相は二代目岸信介とか。」(p298~299)
この渡部昇一氏の文のはじまりも魅力。ということで、長くなるけれど引用しておきますか。
「戦後の新聞のコラムで一世を風靡した感があったのは、高田保が東京日日新聞に連載した『ブラリひょうたん』と、それが中絶した後釜に登場した大宅壮一の『蛙のこえ』である。実に軽妙でありながらピリリと諷刺が効いて、毎回、ただただ感服したものである。文学部に入ったら、いつかはこんな文章を書きたいものだと思ったものである。」
「こう思ったのは私だけではない。同じ寮にいて、一、二年上級生で新聞科の河尻寛という男もそう考えていた。・・・たまたまその頃、大宅壮一は上智の新聞科に非常勤で出講していた。大宅の随筆を読んでいた河尻は、自分でもそれぐらいのものは書けるのではないかと思ったらしい。彼は努力して、『蛙のこえ』風の随筆を書いて大宅先生に見せに行った。そうしたら大宅はこういう主旨の答えをして、彼の作品をその場で返したとのことである。『随筆というのは文章の上手下手の前に、誰が書いたのかが重要なんだ。それぞれの分野で、しかるべき名のある人が書けば、はじめて人が読んでくれるものなんだよ』そう言われて、河尻は納得して引き退って来たと私に語った。そして、二人とも人生の現実を教えられた気がしたのであった。」(p292)
コラムといえば、
「石井英夫の今週のこの一冊」は
竹内政明著「『編集手帳』の文章術」をとりあげて
「『編集手帳』のマクラの博学さには舌を巻くばかりで、これぞ日頃の勉強や蓄積がものを言っている。」(p135)とあります。それから以降が、ここでは書けない面白さなんですが、ここでは書けない(笑)。
そうそう。蓄積といえば
曽野綾子氏の連載「小説家の身勝手」が
1996年、牧師のアルジェリア事件をとりあげて必読。
「1996年のアルジェリア事件は、あまりにも生々しく今回の日揮の事件の背後の空気を語っているように思えたので、私がその概要を紹介する許可を得たのである。」(p121)
あれこれ、100号にふさわしい特大号となっております。
100号記念の特大号。
タイムリーなのが
堤尭・久保紘之対談「蒟蒻問答 第83回」。そこに、
予算委員会での石原慎太郎氏を話題にした箇所がありました。
うん、うんとうなづきながら読みました(笑)。
堤】 ・・・12日の予算委員会見ましたか?
石原慎太郎が質問をしたけど、久し振りに面白かったなぁ。(p245)
堤】 ・・石原が最後のほうで環境問題について聞いたら、安倍が「環境問題は大事な問題で重視している。だからこそ、息子さんの石原伸晃議員を環境相に任命した」と返したのは秀逸、余裕の答弁だったね(笑) (p246)
そして、この号の対談の最後を引用しなくちゃ。
堤】 それにしても、予算委員会で安倍と麻生が並んで坐っている。片や吉田茂、片や岸信介の孫だ。鳩山一郎の孫はロクなものじゃなかったけど(笑)、まんざら世襲も悪いものじゃないとわかるね。
久保】 世襲自体は悪いものではありませんよ。大事なのは、先代の教育如何にかかっています。たとえば、細川護貞は息子である護煕を常に「彼」と呼び、首相になった時に「彼は、新聞の見出し的人間ですから」と冷徹に突き放して分析した。つまり首相になれる資格じゃない、と言っているんです。さすが細川幽斎の血統は違うな、と僕は思わず唸ったものです。これは逆説的な帝王学と言えるでしょう。・・・・(p251)
世襲といえば、
渡部昇一氏の連載「書物ある人生」は、この号で
高田保の「ブラリひょうたん」をとりあげておりました。
そこに
「随筆の他に、高田保には『二つの椅子』と題する対談集がある。・・・幸田文とか辰野隆などの対話は、いま読んでも面白い。たとえば、いまの内閣の名前を聞かれても言えないから、歌舞伎の役者のように何代目を使ったらどうかという提案が出たりする。外務大臣なら何代目小村寿太郎とか。文部大臣なら二代目森有礼と言ったら、当時、問題があった国語国字廃止などには名実ともにピッタリするという。
現在でもこれ式に、デフレ脱却を目標にしている安倍内閣の財務大臣の名前が二代目高橋是清と言ったら、なるほど面白いだろう。いまの政治家の誰かがこの何代目になるような改名をやったらどうなるだろうか。誰か自分の尊敬する政治家の二代目を襲名する形にするのは不可能だろうか。ナポレオンにも三世くらいあったはずだ。安倍首相は二代目岸信介とか。」(p298~299)
この渡部昇一氏の文のはじまりも魅力。ということで、長くなるけれど引用しておきますか。
「戦後の新聞のコラムで一世を風靡した感があったのは、高田保が東京日日新聞に連載した『ブラリひょうたん』と、それが中絶した後釜に登場した大宅壮一の『蛙のこえ』である。実に軽妙でありながらピリリと諷刺が効いて、毎回、ただただ感服したものである。文学部に入ったら、いつかはこんな文章を書きたいものだと思ったものである。」
「こう思ったのは私だけではない。同じ寮にいて、一、二年上級生で新聞科の河尻寛という男もそう考えていた。・・・たまたまその頃、大宅壮一は上智の新聞科に非常勤で出講していた。大宅の随筆を読んでいた河尻は、自分でもそれぐらいのものは書けるのではないかと思ったらしい。彼は努力して、『蛙のこえ』風の随筆を書いて大宅先生に見せに行った。そうしたら大宅はこういう主旨の答えをして、彼の作品をその場で返したとのことである。『随筆というのは文章の上手下手の前に、誰が書いたのかが重要なんだ。それぞれの分野で、しかるべき名のある人が書けば、はじめて人が読んでくれるものなんだよ』そう言われて、河尻は納得して引き退って来たと私に語った。そして、二人とも人生の現実を教えられた気がしたのであった。」(p292)
コラムといえば、
「石井英夫の今週のこの一冊」は
竹内政明著「『編集手帳』の文章術」をとりあげて
「『編集手帳』のマクラの博学さには舌を巻くばかりで、これぞ日頃の勉強や蓄積がものを言っている。」(p135)とあります。それから以降が、ここでは書けない面白さなんですが、ここでは書けない(笑)。
そうそう。蓄積といえば
曽野綾子氏の連載「小説家の身勝手」が
1996年、牧師のアルジェリア事件をとりあげて必読。
「1996年のアルジェリア事件は、あまりにも生々しく今回の日揮の事件の背後の空気を語っているように思えたので、私がその概要を紹介する許可を得たのである。」(p121)
あれこれ、100号にふさわしい特大号となっております。