『地涌(じゆ)の菩薩』て、いったいなんだろうと、気にもしなかったのですが、「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」(PHP)を読んだときに、あらためて、この言葉に惹かれました。
最初は、瀬戸内寂聴・梅原猛対談「生ききる。」(角川oneテーマ21新書・2011年7月)に見かけました。
梅原】 私はやはり仏教が立ち上がるべきだと思います。
私は日蓮の『地涌(じゆ)の菩薩』に注目します。この『地涌』という語は『法華経』の『従地涌出品』第十五に出てきます。・・・『本化(ほんげ)の菩薩』は天から舞い降りてくるのではなく、大地から涌き出てくるという考えです。・・・四菩薩は大衆の中にいて、大衆を導く仏です。というより、大衆自身。今、被災者のことを考えると、彼らこそ『地涌』の菩薩そのものなんです。だから必ず、地から湧き上がる力を持っている。私はそう考えます。(p52)
「死の淵を見た男」に、原子炉一号機、二号機を操作する中央制御室(中操)の当直長・伊沢郁夫氏が、引き上げてくる箇所があります。そこを引用。
「免震重要棟の廊下やフロア、トイレのところ、ありとあらゆる場所に人がうずくまってるんですよ。協力企業の人も含めて、力尽きてる人がいっぱいいる。なにか不思議な感じがしました。・・・・こっちは、やっと中操から生きて帰りました。するとそこに、技術系ではない人たちが沢山いたんです。寝転んで、わけのわからないところに押し込められて、今、何が起こってるかわからないという人が女性や協力企業さんも含めて沢山いたんです。自分自身がやっと生きて帰ってきたって思っているところに、自分が助けなきゃいけない人間がまだこんなにいっぱいいる、ということを知ったんです。・・・あまりにいっぱいいるので、びっくりしました。緊対の吉田所長たちがいる円卓は最前線ですが、うしろの方には、なんというか避難した非戦闘員がいっぱいいたわけですよ。でもびっくりしただけでなく、私としては、仲間が増えたという思いも涌いてきました。中操では、自分が最高責任者でしたから、やっぱり孤独だったんですよ。でも、免震棟に来たら、吉田所長を筆頭に、大勢で闘っているわけじゃないですか。特に、復旧班の主力は、放射線と水素爆発の危険がある現場で電源復旧に全力を挙げていました。だから免震棟に引き揚げても、私もあきらめなかったですね。中操では『死』を覚悟していましたけど、ここでは、『死ぬ』という思いはなかったです。免震棟では『ここからやれば、なんとかできる』と思ったんです。不思議な感覚っていうか、まだまだいける、と思ったことを覚えています」(p229~230)
「死の淵を見た男」を読みすすむと、最後の方に、
吉田昌郎氏の高校クラスメイトの証言が出てくるのでした。
そこは、こうでした。
「奈良市で寺院の住職を務めている杉浦弘道は、吉田と高校二年、三年と同じクラスだった。・・『・・たぶん高二の時だったと思いますが、・・・私は吉田に【おまえ、般若心経を知ってるか】と言われましてね。私はお寺の息子でありましたが、当時、それに背を向けていた人間だったんです。だから、お経なども何も知らなかったんですけど・・・彼は、般若心経をそらで覚えてて、私の前でスラスラと披露してくれました。びっくりしましたよ。高二ですからね。吉田はその頃から宗教的な面に関心がありましたね』
杉浦がこのことを思いだしたのは、吉田が震災の一年五か月後、2012年8月に福島市で開かれたシンポジウムにビデオ出演した際、現場に入っていく部下たちのことを、『私が昔から読んでいる法華経の中に登場する【地面から涌いて出る地涌菩薩】のイメージを、すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた』と語ったことだ。これをネットで知った杉浦はこの時、ああ、吉田らしいなあ、と思ったという。
『ああ、吉田なら、命をかけて事態を収拾に向かっていく部下たちを見て、そう思うだろうなあ、と思ったんですよ。吉田の【菩薩】の表現がよくわかるんです。部下たちが、疲労困憊のもとで帰って来て、再びまた、事態を収拾するために、疲れを忘れて出て行く状態ですもんね。吉田の言う【菩薩】とは、法華経の真理を説くために、お釈迦さまから託されて、大地の底から湧き出た無数の菩薩の姿を指していると思うんですが、その必死の状況というのが、まさしく、菩薩が湧き上がって不撓不屈の精神力をもって惨事に立ち向かっていく姿に見えたのだと思います。そりゃもう凄いなあ、と思いましたねえ。部下の姿を吉田ならそう捉えたと思います。ああ、これは、まさしく吉田の言葉だなあ、と思ったし、信頼する部下への吉田の心からの思いやりと優しさを感じました』」(p347~348)
うん。この箇所を読めてよかった。
最初は、瀬戸内寂聴・梅原猛対談「生ききる。」(角川oneテーマ21新書・2011年7月)に見かけました。
梅原】 私はやはり仏教が立ち上がるべきだと思います。
私は日蓮の『地涌(じゆ)の菩薩』に注目します。この『地涌』という語は『法華経』の『従地涌出品』第十五に出てきます。・・・『本化(ほんげ)の菩薩』は天から舞い降りてくるのではなく、大地から涌き出てくるという考えです。・・・四菩薩は大衆の中にいて、大衆を導く仏です。というより、大衆自身。今、被災者のことを考えると、彼らこそ『地涌』の菩薩そのものなんです。だから必ず、地から湧き上がる力を持っている。私はそう考えます。(p52)
「死の淵を見た男」に、原子炉一号機、二号機を操作する中央制御室(中操)の当直長・伊沢郁夫氏が、引き上げてくる箇所があります。そこを引用。
「免震重要棟の廊下やフロア、トイレのところ、ありとあらゆる場所に人がうずくまってるんですよ。協力企業の人も含めて、力尽きてる人がいっぱいいる。なにか不思議な感じがしました。・・・・こっちは、やっと中操から生きて帰りました。するとそこに、技術系ではない人たちが沢山いたんです。寝転んで、わけのわからないところに押し込められて、今、何が起こってるかわからないという人が女性や協力企業さんも含めて沢山いたんです。自分自身がやっと生きて帰ってきたって思っているところに、自分が助けなきゃいけない人間がまだこんなにいっぱいいる、ということを知ったんです。・・・あまりにいっぱいいるので、びっくりしました。緊対の吉田所長たちがいる円卓は最前線ですが、うしろの方には、なんというか避難した非戦闘員がいっぱいいたわけですよ。でもびっくりしただけでなく、私としては、仲間が増えたという思いも涌いてきました。中操では、自分が最高責任者でしたから、やっぱり孤独だったんですよ。でも、免震棟に来たら、吉田所長を筆頭に、大勢で闘っているわけじゃないですか。特に、復旧班の主力は、放射線と水素爆発の危険がある現場で電源復旧に全力を挙げていました。だから免震棟に引き揚げても、私もあきらめなかったですね。中操では『死』を覚悟していましたけど、ここでは、『死ぬ』という思いはなかったです。免震棟では『ここからやれば、なんとかできる』と思ったんです。不思議な感覚っていうか、まだまだいける、と思ったことを覚えています」(p229~230)
「死の淵を見た男」を読みすすむと、最後の方に、
吉田昌郎氏の高校クラスメイトの証言が出てくるのでした。
そこは、こうでした。
「奈良市で寺院の住職を務めている杉浦弘道は、吉田と高校二年、三年と同じクラスだった。・・『・・たぶん高二の時だったと思いますが、・・・私は吉田に【おまえ、般若心経を知ってるか】と言われましてね。私はお寺の息子でありましたが、当時、それに背を向けていた人間だったんです。だから、お経なども何も知らなかったんですけど・・・彼は、般若心経をそらで覚えてて、私の前でスラスラと披露してくれました。びっくりしましたよ。高二ですからね。吉田はその頃から宗教的な面に関心がありましたね』
杉浦がこのことを思いだしたのは、吉田が震災の一年五か月後、2012年8月に福島市で開かれたシンポジウムにビデオ出演した際、現場に入っていく部下たちのことを、『私が昔から読んでいる法華経の中に登場する【地面から涌いて出る地涌菩薩】のイメージを、すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた』と語ったことだ。これをネットで知った杉浦はこの時、ああ、吉田らしいなあ、と思ったという。
『ああ、吉田なら、命をかけて事態を収拾に向かっていく部下たちを見て、そう思うだろうなあ、と思ったんですよ。吉田の【菩薩】の表現がよくわかるんです。部下たちが、疲労困憊のもとで帰って来て、再びまた、事態を収拾するために、疲れを忘れて出て行く状態ですもんね。吉田の言う【菩薩】とは、法華経の真理を説くために、お釈迦さまから託されて、大地の底から湧き出た無数の菩薩の姿を指していると思うんですが、その必死の状況というのが、まさしく、菩薩が湧き上がって不撓不屈の精神力をもって惨事に立ち向かっていく姿に見えたのだと思います。そりゃもう凄いなあ、と思いましたねえ。部下の姿を吉田ならそう捉えたと思います。ああ、これは、まさしく吉田の言葉だなあ、と思ったし、信頼する部下への吉田の心からの思いやりと優しさを感じました』」(p347~348)
うん。この箇所を読めてよかった。