文藝春秋3月号の赤坂太郎氏の文に、
「日本はアフリカ外交に弱く、独自の情報収集能力は皆無に近い。湾岸危機の頃から指摘されてきたが、今も変わらない。」(p225)
とありました。
産経新聞1月26日に掲載された
石崎幸三の「木山聡さんを追悼する手記」には
「・・アフリカの中国大使館数と日本の大使館数を比較するだけでも、いかに日本には予算がないか分かる。それは外務省の怠慢ではなく、多くの日本人が必要と認めないからである。少なくともジャーナリストや政治家は、それに気を向けるべきである。海外邦人に対する安全確保、未来の日本に対する投資としての教育、いずれも経済協力開発機構(OECD)加盟国中でも最低レベルに落ちている。・・・必要な予算は必要なところには回らず、身近の『安心・安全』に迎合したところに極端な大盤振る舞いの予算が回っている日本。・・・
一部の政治家は根拠もなく外国政府に頭を下げ、それによって日本人の犠牲者が出てくる可能性があることを分かっていない。国内の『安心・安全』のためにいかに多くの海外邦人の『安心・安全』が犠牲になっているか。木山君の死を無駄にしないためにももう一度考えるべきだ。」
うん。やはり全文を読んでもらった方がよいのですが、
一部を引用しました。
最近読んだなかで、
思い浮かぶ箇所はというと、
日下公人著「日本精神の復活」(PHP)に
「イギリス外交は英国国教会(アングリカン・チャーチ)の牧師を別働隊として持っているし、アメリカ人は各種財団法人(シンクタンク)を使っている。日本の別働隊は商社だと思う。」(p115)
そして、曽野綾子著「この世に恋して」(WAC)には、こうあったのでした。
「いつかたまたま皇后様からご連絡があったとき、アフリカのマダガスカルからシスターが二人、南アフリカ共和国、南米のボリビアから神父がお一人ずつ、日本にいらしてたことがありました。私が何の気なしに『こういう方々のお話を直にお聞きになっていただける機会があるとよろしいのですが』とお話したら、数日後に来るようにとのお言葉でした。」(p190)
こうして、さまざまなチャンネルをむすびつけてゆくのでしょうか。
「日本はアフリカ外交に弱く、独自の情報収集能力は皆無に近い。湾岸危機の頃から指摘されてきたが、今も変わらない。」(p225)
とありました。
産経新聞1月26日に掲載された
石崎幸三の「木山聡さんを追悼する手記」には
「・・アフリカの中国大使館数と日本の大使館数を比較するだけでも、いかに日本には予算がないか分かる。それは外務省の怠慢ではなく、多くの日本人が必要と認めないからである。少なくともジャーナリストや政治家は、それに気を向けるべきである。海外邦人に対する安全確保、未来の日本に対する投資としての教育、いずれも経済協力開発機構(OECD)加盟国中でも最低レベルに落ちている。・・・必要な予算は必要なところには回らず、身近の『安心・安全』に迎合したところに極端な大盤振る舞いの予算が回っている日本。・・・
一部の政治家は根拠もなく外国政府に頭を下げ、それによって日本人の犠牲者が出てくる可能性があることを分かっていない。国内の『安心・安全』のためにいかに多くの海外邦人の『安心・安全』が犠牲になっているか。木山君の死を無駄にしないためにももう一度考えるべきだ。」
うん。やはり全文を読んでもらった方がよいのですが、
一部を引用しました。
最近読んだなかで、
思い浮かぶ箇所はというと、
日下公人著「日本精神の復活」(PHP)に
「イギリス外交は英国国教会(アングリカン・チャーチ)の牧師を別働隊として持っているし、アメリカ人は各種財団法人(シンクタンク)を使っている。日本の別働隊は商社だと思う。」(p115)
そして、曽野綾子著「この世に恋して」(WAC)には、こうあったのでした。
「いつかたまたま皇后様からご連絡があったとき、アフリカのマダガスカルからシスターが二人、南アフリカ共和国、南米のボリビアから神父がお一人ずつ、日本にいらしてたことがありました。私が何の気なしに『こういう方々のお話を直にお聞きになっていただける機会があるとよろしいのですが』とお話したら、数日後に来るようにとのお言葉でした。」(p190)
こうして、さまざまなチャンネルをむすびつけてゆくのでしょうか。