え~と。
梅棹忠夫著作集第17巻の月報に
寿岳章子さんの文があり、その文に刺激されて、
寿岳章子著「暮らしの京ことば」を古本で購入。
月報で語られた箇所が、さらに具体的に読める。
それが、「京ことばに生きる男たち」という章。
単行本には、雑誌のバックナンバーまで紹介されていて、それが
「言語生活」1956年4月号、『動物のことば――ニホンザルを中心に』。
「日本の古本屋」で雑誌をネット検索すると、
はい。その4月号が買える。買う。それが届く。
指摘された、お目当ての「愉快な座談」を読む。
もどって、どうして私は、この雑誌を読みたくなったか、
こういうことって、すぐに忘れるので月報に掲載された、
雑誌『言語生活』が登場する部分を引用しておきます。
「・・・私の京都府立女専時代の友人が、
雑誌『言語生活』(このきわめてユニークな雑誌は
相当長くつづいたが、残念なことに今は廃刊)
のアルバイトのようなことをやっていたその仕事の
一つに、・・『ニホンザル』の社会、といったような
ことをテーマにした座談会を京都で行なうというのが
あって、京都にやってきた。
とりわけ仲よしだった彼女に出会って、
その入洛の目的を聞いた私は、同伴を頼みこんだ。
記事作りの手伝いをするから、その話を聞かせて、
という私の願いを彼女は快くきいて、その会場にでかけた。」
「今西(錦司)、梅棹(忠夫)二氏は全くの京ことば
・・・だから私はそのお二方の京ことばぶりが
十分に文字化されるよう、文末のデリケートな
特に助辞をていねいメモした。念のため、
ゲラ刷りにも目を通させてもらった。
その、京都ことばで学問的内容が語られる
ということじたいに、おそらく歴史的価値
が生じるにちがいないと判断したからである。
・・あるのやで・・・つかめてへんわ
・・どうやいな・・・逃げはったんやな
・・作るのんや・・・。
堂々とこういう形で京都方言を駆使して
話すサル話はとても楽しくもありおもしろかった。
私の大収穫は、『東京ことばでしゃべらんかてもいいのや』
というテーマを得たことであった。
やがて、後々の同じ『言語生活』で梅棹さんは
『第二標準語論』を唱えられるに至るが、
私はそのテーマの実践者としての氏の発言の
よって来たるところがよくわかる気がした。」
はい。その雑誌を古本で購入できた。
う~ん。雑誌の座談は内容を含め読めてよかった。
有難いなあ、居ながらにして、古い雑誌が届くたのしみ。
はい。私の場合、本を購入していると、
あとで、どうしてこの本があるのだと、
さっぱり分からなくなることしばしば、
途中で、興味が目移りして、とぎれる。
それが、私の弱点。それならどうする。
すぐに、忘れるのはしかたないとして。
その本を、どうして買いたかったのか、
その最初の場面を反芻するように記録。
それが、ブログでできますように(笑)。
梅棹忠夫著作集第17巻の月報に
寿岳章子さんの文があり、その文に刺激されて、
寿岳章子著「暮らしの京ことば」を古本で購入。
月報で語られた箇所が、さらに具体的に読める。
それが、「京ことばに生きる男たち」という章。
単行本には、雑誌のバックナンバーまで紹介されていて、それが
「言語生活」1956年4月号、『動物のことば――ニホンザルを中心に』。
「日本の古本屋」で雑誌をネット検索すると、
はい。その4月号が買える。買う。それが届く。
指摘された、お目当ての「愉快な座談」を読む。
もどって、どうして私は、この雑誌を読みたくなったか、
こういうことって、すぐに忘れるので月報に掲載された、
雑誌『言語生活』が登場する部分を引用しておきます。
「・・・私の京都府立女専時代の友人が、
雑誌『言語生活』(このきわめてユニークな雑誌は
相当長くつづいたが、残念なことに今は廃刊)
のアルバイトのようなことをやっていたその仕事の
一つに、・・『ニホンザル』の社会、といったような
ことをテーマにした座談会を京都で行なうというのが
あって、京都にやってきた。
とりわけ仲よしだった彼女に出会って、
その入洛の目的を聞いた私は、同伴を頼みこんだ。
記事作りの手伝いをするから、その話を聞かせて、
という私の願いを彼女は快くきいて、その会場にでかけた。」
「今西(錦司)、梅棹(忠夫)二氏は全くの京ことば
・・・だから私はそのお二方の京ことばぶりが
十分に文字化されるよう、文末のデリケートな
特に助辞をていねいメモした。念のため、
ゲラ刷りにも目を通させてもらった。
その、京都ことばで学問的内容が語られる
ということじたいに、おそらく歴史的価値
が生じるにちがいないと判断したからである。
・・あるのやで・・・つかめてへんわ
・・どうやいな・・・逃げはったんやな
・・作るのんや・・・。
堂々とこういう形で京都方言を駆使して
話すサル話はとても楽しくもありおもしろかった。
私の大収穫は、『東京ことばでしゃべらんかてもいいのや』
というテーマを得たことであった。
やがて、後々の同じ『言語生活』で梅棹さんは
『第二標準語論』を唱えられるに至るが、
私はそのテーマの実践者としての氏の発言の
よって来たるところがよくわかる気がした。」
はい。その雑誌を古本で購入できた。
う~ん。雑誌の座談は内容を含め読めてよかった。
有難いなあ、居ながらにして、古い雑誌が届くたのしみ。
はい。私の場合、本を購入していると、
あとで、どうしてこの本があるのだと、
さっぱり分からなくなることしばしば、
途中で、興味が目移りして、とぎれる。
それが、私の弱点。それならどうする。
すぐに、忘れるのはしかたないとして。
その本を、どうして買いたかったのか、
その最初の場面を反芻するように記録。
それが、ブログでできますように(笑)。