あらためて、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)を、
読み直そうと、ぱらりと開くと、
5章「整理と事務」のはじまりが気になる。
「わたしが小学生のころの教科書にあった話だとおもうが、
本居宣長は、自分の家の書棚から、あかりをつけずに
必要な本をとりだすことができたという。また、どこそこ
の棚の右から何番目、といわれていってみると、ちゃんと
その本があった、というような話もきいた。・・」(p79)
これが第5章のはじまりでした。
それで、思い出すのは
八木秀次監修「尋常小學修身書」(小学館文庫)。
そこをひらいていたら、「せいとん」という文があった。
「本居宣長は、わが国の昔の本を読んで、
日本が大そうりっぱな国であることを
人々に知らせた、名高いがくしゃであります。
宣長は、たくさんの本を持っていましたが、
一々本箱に入れて、よくせいとんしておきました。
それで、夜、あかりをつけなくても、思うように、
どの本でも取出すことが出来ました。
宣長は、いつもうちの人に向かって、
『どんな物でも、それをさがす時のことを思ったなら、
しまう時に気をつけなければなりません。
入れる時に、少しのめんどうはあっても、
いる時に、早く出せる方がよろしい。』
といって聞かせました。
宣長が名高いがくしゃになり、
りっぱなしごとをのこしたのには、
へいぜい物をよくせいとんしておいたことが、
どれだけやくにたったか知れません。」
(p86~87)
うん。梅棹忠夫さんは、この話が
記憶の片隅にあったのでしょうか。
章のはじめに、枕のように引用しておりました。
その本居宣長の「せいとん」から
はじめた梅棹忠夫氏は、つぎに
ご自分のことを書いております。
「わたしは子どものころから、
ものもちのいいほうで、いろいろな
ものを保存するくせがあった。・・・
友人たちからもらった手紙類や、
学校関係のパンフレット、紙きれまで、
後生大事にのこすようになってしまった。
ただし、いっさい整理ということをしらないから、
なんでもかでも、箱のなかに乱雑につめこんで
いただけである。わたしはいまでも、すくなくとも
高等学校時代からの、このような『遺産』の山を、
なすすべもなくかかえこんでいる。
学生時代はためこむだけでよかった。
いよいよ自分の仕事がはじまってみると、
これではどうしようもなかった。
・・・・・
わたしは、自分自身の文書を整理するために、
いろいろなことをやってみた。なんべんも失敗したが、
そのたびに、すこしずつかしこくなった。そして、
どうやら整理についての基本的原則みたいなものが、
すこしわかったような気がしている。」(p79~80)
うん。「知的生産の技術」を再読してみます。
あらてめて、読み直すと、どのようなことを
思い浮かべるのか、という楽しみ。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)を、
読み直そうと、ぱらりと開くと、
5章「整理と事務」のはじまりが気になる。
「わたしが小学生のころの教科書にあった話だとおもうが、
本居宣長は、自分の家の書棚から、あかりをつけずに
必要な本をとりだすことができたという。また、どこそこ
の棚の右から何番目、といわれていってみると、ちゃんと
その本があった、というような話もきいた。・・」(p79)
これが第5章のはじまりでした。
それで、思い出すのは
八木秀次監修「尋常小學修身書」(小学館文庫)。
そこをひらいていたら、「せいとん」という文があった。
「本居宣長は、わが国の昔の本を読んで、
日本が大そうりっぱな国であることを
人々に知らせた、名高いがくしゃであります。
宣長は、たくさんの本を持っていましたが、
一々本箱に入れて、よくせいとんしておきました。
それで、夜、あかりをつけなくても、思うように、
どの本でも取出すことが出来ました。
宣長は、いつもうちの人に向かって、
『どんな物でも、それをさがす時のことを思ったなら、
しまう時に気をつけなければなりません。
入れる時に、少しのめんどうはあっても、
いる時に、早く出せる方がよろしい。』
といって聞かせました。
宣長が名高いがくしゃになり、
りっぱなしごとをのこしたのには、
へいぜい物をよくせいとんしておいたことが、
どれだけやくにたったか知れません。」
(p86~87)
うん。梅棹忠夫さんは、この話が
記憶の片隅にあったのでしょうか。
章のはじめに、枕のように引用しておりました。
その本居宣長の「せいとん」から
はじめた梅棹忠夫氏は、つぎに
ご自分のことを書いております。
「わたしは子どものころから、
ものもちのいいほうで、いろいろな
ものを保存するくせがあった。・・・
友人たちからもらった手紙類や、
学校関係のパンフレット、紙きれまで、
後生大事にのこすようになってしまった。
ただし、いっさい整理ということをしらないから、
なんでもかでも、箱のなかに乱雑につめこんで
いただけである。わたしはいまでも、すくなくとも
高等学校時代からの、このような『遺産』の山を、
なすすべもなくかかえこんでいる。
学生時代はためこむだけでよかった。
いよいよ自分の仕事がはじまってみると、
これではどうしようもなかった。
・・・・・
わたしは、自分自身の文書を整理するために、
いろいろなことをやってみた。なんべんも失敗したが、
そのたびに、すこしずつかしこくなった。そして、
どうやら整理についての基本的原則みたいなものが、
すこしわかったような気がしている。」(p79~80)
うん。「知的生産の技術」を再読してみます。
あらてめて、読み直すと、どのようなことを
思い浮かべるのか、という楽しみ。