和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

コンピュータの後ろの、自由な感覚。

2019-06-05 | 本棚並べ
古い雑誌は、本棚にあっても、探しだせない(笑)。
どこにあるのか、忘れては探せなかったりします。

季刊「本とコンピュータ」1999冬号。ここに、
鶴見俊輔・多田道太郎対談が掲載されてます。
そのはじまりの、二人の写真が魅力です。
どっか、夜の路地を二人して歩いてる。
少し前に大笑いしながら鶴見さんが歩いて、
その右腕を後ろから押さえている多田さん。
二人の親密さが、一枚の写真で伝わるようです。
題して「カードシステム事始」。
副題は「廃墟の共同研究」とあります。
その対談の最後の方に登場する梅棹忠夫さんの話題を引用。


鶴見】 梅棹さんのカードは、この共同研究から出発しています。
梅棹さんはルソー研究のあとにやった、百科全書研究のときに
参加したんです。このときは彼がアンカーになって書いた。
彼は自分の文章に対する自信があるから、
他人の人と一緒にやるのいやなんだよ。(笑)
たくさんの人がやったディスカッションを、
自分で流れをつくって書き直したんだ。
非常に立派な出来栄えですよ。

多田】そのときの経験を、梅棹さんはフィールドノートと
結びつけて、独自の分類学に高めていった。その集積を
国立民族学博物館という建物にしたんですね。

 ・・・・・

鶴見】 私たちが京大でやったのは・・
いわば、穴居時代の技術です。・・・
穴居時代の技術は何かということを、
いつでも視野においていかなきゃいけない。
それとね。
コーヒー一杯で何時間でも雑談できるような
自由な感覚がありました。
桑原さんも若い人たちと一緒にいて、
一日中でも話している。
アイデアが伸びてくるんだよ。
ああいう気分をつくれる人がおもしろいんだな。

梅棹さんもね、『思想の科学』に書いてくれた
原稿をもらうときに、京大前の進々堂という
コーヒー屋で雑談するんです。
原稿料なんてわずかなものです。
私は『おもしろい、おもしろい』って聞いているから、
それだけが彼の報酬なんだよ。
何時間でも機嫌よく話してるんだ。(笑)
雑談の中でアイデアが飛び交い、
互いにやり取りすることで、
そのアイデアが伸びていったんです。

いま、インターネットで世界中が交流できる
ようになってきているけど、コンピュータの
後ろにそういう自由な感覚があれば、
いろんな共同研究ができていくでしょうね。
(p206~207)


ちなみに、対談に「京都に熱波くるとね」というセリフ。
それが対談ででてくるので、そこ紹介しておきます(笑)。

鶴見】 共同研究のために無給の研究生を募集して
 ・・・・・

多田】 ・・・・でも、無給なんですよ。
研究会に出させてやるという恩恵だけは
与えられたけど、肩書も何もない。
大人の感覚で言えば、アホくさいことですわ。
(笑)だけど、それを『あっ、これは面白いなあ』
と思って、共同研究というものにのめり込んでいったんです。

鶴見】そのとき、多田さんは私より二つ下の24歳。
年が近かったから、共同研究を進めるのが楽だったわけ。

多田】研究会は、週一回やっていましたね。

鶴見】毎週金曜日ごとに、各自が発表しました。
討論が白熱して、夜までかかることもしばしば
ありました。恐ろしいのはね、夏も研究会を
やったんだ。京都に熱波がくるとね、
あまりにも暑くて、皆がしばらくジーッと
黙ってしまうんだ。(笑)
(p200)

はい。夏の京都が、こんな箇所に登場。
この雑誌の、この対談の次のページは
加藤秀俊の文「知的生産に王道なし」。
せっかくなので、そこからも引用。

「この共同研究の最大の特色は、
なんといっても『知識の共有化』だった。
じぶんの研究を秘密にするのではなく、
完全に公開することに全員が心がけた。
そしてそのために『カード方式』が発明された。
とにかく、じぶんが読んだ書物の一部引用や、
かいたメモの断片にいたるまで、カードに
しるしてそれを共通のカード箱にいれておく。
そうすればお互いの知恵や知識が
『個人』のものではなく、
『集団』の共有財産になるからだ。・・
こんなふうにして手作業でみごとな
『知恵の宝箱』をみんなでつくった。・・」
(p209)

はい。この雑誌が本棚からでてきて、
あらためて、読むことができました。
雑誌はすぐ、どこかへ紛れ込みます。
忘れないうちに、ブログへ書きこみ。






コメント
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