和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京の街の夏のにぎわい。

2019-06-30 | 本棚並べ
梅棹忠夫著「モゴール族探検記」(岩波新書)。

はじめに、梅棹忠夫年譜をひらくと、

1955年(昭和30年)35歳
 5月~11月 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊に参加。
ヒンズークシ支隊人類学班に属し、モゴール族の調査研究を中心におこなう。
自動車でカブールから北インドを横断してカルカッタまでもどる。

1956年36歳 『モゴール族探検記』
      『アフガニスタンの旅』(岩波写真文庫)


(「梅棹忠夫のことば」小長谷有紀編・その年譜を参照)


さてっと、
パキスタンとイランの間ぐらいの地域への探検記を読んでいると、
どういうわけか、京都が登場する箇所がある。

「このあいだ、祇園祭もすんだなと思ったとたんから、
ハモの切落しの幻影がちらついているのだ。
それからじゅんさいのおつゆ。
 ・・・・
食べものばかりではない。着るものだってそうだ。
カーブルまではゆかたを持って来た。
それが、十年まえのくせで、現地では現地ふうにという
考えが頭をもたげて、おいて来てしまった。
おしいことをしたと思う。
ゴラートの高原、サンギ・マザールのふもとを、
ゆかたがけで散歩するそう快さを味わいそこねた。
価値体系をまったく異にする異民族の中にいて、
そういうことをするのが、いかに愚劣な行為であるかは、
人類学者であり探検家であるところのわたしは、
よく知っている。しかし、それにもかかわらず、
わたしの中に成熟してきた日本人が、
そういう欲求をおこすのである。」
(p107~108)

はい。35歳の梅棹忠夫が、そこにいました。
本は、このすぐあとにゾバイル僧正との宗教論争
という印象的な場面となります。
まあ、そこはここではカットして、
その宗教論争の考察がある第七章の最後でした。

「夜、自分のテントに帰って、
日記の日付を書いたとき、まったく突然に、
京の街の夏のにぎわいの、はなやかな情緒を思い出して、
すこしせつない気もちになる。
今日は大文字の日なんだ。ゆかたの人の群れとうちわの波。
もう大文字山にはほのおが上っている時分だろう。
しかしここ、テントの外には、くらやみの中に
ジルニーの村は静まりかえっている。・・・・」
(p130)


はい。梅棹忠夫
「成熟してきた日本人」の京都。

せっかくなので、もうすこし(笑)。

ゾバイル僧正が「あなたは神を信ずるか?」
と質問してきた109ページの、
同じページの最後の方に梅棹さんは
こう記しておりました。

「・・わたしは自分自身の心の中を分析してみて、
やはりある種の神さまが躍動しているのを感じている
・・・」

うん。ここでは、ちょうど
「自分自身の心の中を」のぞきこんでいる場面でした。
「ある種の神さまが躍動している」京都が、そこには、
映し出されていた。ということでしょうか。


コメント
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