和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

水の流れと、梅棹忠夫。

2019-06-25 | 三題噺
水の流れと、梅棹忠夫。
ということで、
三冊の本の、ある箇所をつないで引用。
こういう思いつきは、すぐに忘れるので、
忘れないうちブログへと記入しておこう。

「ウメサオタダオが語る、梅棹忠夫」(ミネルヴァ書房)
「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(国立民族学博物館)
「知的生産の技術」(岩波新書)

この3冊を順をおって引用。
はい。水が印象に残ります。
そこから、補助線でつなぐ。

1冊目は

「・・・大きな川の写真があり、
続いて川面を映した写真があった。
よく見ると川面には小さな白い点々が
ゴミのように写っている。何だろう?
と思っていると谷(泰)先生はすかさず
『単語カードではないか』と言う。
そう言えば『実戦・世界言語紀行』(岩波新書)に
そんなエピソードがつづられていたっけ。

『ポー川の紙吹雪』というタイトルで、
イタリア調査で使っていた単語カードを
もう要らないからポー川をわたったときに捨てた、
という話がつづられている。・・・・」(p61)

2冊目は
元岩波書店編集者・小川壽夫氏の1頁の文。
岩波新書「知的生産の技術」を発売するまでの
経緯を書いておられます。途中から

「最初に、社全体の編集会議に企画提案したとき、
知的生産とはいったい何だ、ハウツー物じゃないか、
ときびしい批判を浴び・・・
そこから、いわばゼロからのスタートになる。・・
先生は『これはわたしの学問研究の一環です』
と強調されていた。
・・・・くりかえし話題になったのは、
秘書の重要性、日本語タイプライター、
個人研究の共有化、だったと思う。

対話しながら自問自答し、
迷ったり横道に入ったり、
だんだんと考えを煮つめていく。」

はい。ついつい余分な引用をしました。
水が出てくるのは、この次なのでした。

「原稿はあらたに書き下ろす形になったが、
なかなかスタートしない。お宅にうかがうと、
先生は、トイレの水の流しかたをどう書いたら
お客さんにわかってもらえるか、苦悶されている。
できるだけ短く、ひらがなで二行。何度も書き直す。
その日は、督促のしようもなかった。」
(p102)

はい。3冊目は、よくご存じの「知的生産の技術」から


「これはむしろ、精神衛生の問題なのだ。
つまり、人間を人間らしい状態につねにおいておくために、
何が必要かということである。かんたんにいうと、人間から、
いかにして いらつきをへらすか、というような問題なのだ。
整理や事務のシステムをととのえるのは、
『時間』がほしいからでなく、
生活の『秩序としずけさ』がほしいからである。


水がながれてゆくとき、
水路にいろいろなでっぱりがたくさんでている。
水はそれにぶつかり、そこにウズマキがおこる。
水全体がごうごうと音をたててながれ、泡だち、
波うち、渦をまいてながれてゆく。
こういう状態が、いわゆる乱流の状態である。
ところが、障害物がなにもない場合には、
大量の水が高速度でうごいても、音ひとつしない。
みていても、
水はうごいているかどうかさえ、はっきりわからない。
この状態が、いわゆる層流の状態である。

知的生産の技術のひとつの要点は、
できるだけ障害物をとりのぞいて
なめらかな水路をつくることによって、
日常の知的活動にともなう情緒的乱流を
とりのぞくことだといっていいだろう。
精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。
努力によってえられるものは、精神の安静なのである。」
(p95~96)


ゆく河の「ポー川の紙吹雪」と
お宅の「トイレの水の流し方」と
そして「知的生産の技術」の水と。
この3枚のカードをならべてみました。

きっと、わたしが、
「知的生産の技術」の水の箇所を
いつか、読み直すことがあったら、
『情緒的乱流』のように、すぐに、
トイレが思い浮かぶのだろうなあ(笑)。

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そういうことになったんねんけど。

2019-06-25 | 本棚並べ
そういえばと思いうかんで、本棚から
山野博史著「発掘 司馬遼太郎」(文芸春秋)をもってくる。

司馬遼太郎氏と関係があった方々との、
見えにくい交流を、中心にまとめた本。

海音寺潮五郎・源氏鶏太・今東光・藤沢桓夫とはじまり
富士正晴・吉田健一と並んでおります。

その目次の最後の3人はというと、
桑原武夫・足立巻一・田辺聖子でした。

たとえば、桑原武夫について、

「昭和63年4月10日、桑原武夫の訃報をきいて、
翌日の読売、朝日、毎日、産経各紙の大阪版朝刊の
すべてに追悼談話を寄せているのは司馬遼太郎だけで、
話の中身をふりわけつつ、思考の衰えを知らぬ、
文章のいい人だったと語っている。
同じ日の読売新聞大阪版夕刊に書いた『鋭い言語感覚』は
桑原武夫評の総仕あげだが、しめっぽいところがなく、
とてもすっきりしている。・・」(p168~169)

こうして、ひきつづく引用が冴えます。


うん。最後は田辺聖子さんが知る司馬サンを引用。

「およそ司馬さんぐらい、話していておもしろい
男性はないであろう。座談の妙手というか天才というか、
司馬さんのお話を聞いているだけでも面白いのに、
こちらの話を巧妙に引き出す能力も抜群である。

インタビュアーとしても一流である。
だから対談していると、思わず時のたつのも忘れ
ご迷惑かけることになってしまう。司馬さんの対談を
本で読んでも面白いのは当然だが、ナマで向き合ってると、
一そう迫力が出て面白い。
『そやねん、そやねん、そういうことになったんねんけど、
ほんまはな・・・』とやわらかいトーンの大阪弁で、
歴史の秘密をたぐりよせてゆく、その耳あたりのいい声と
大阪弁は、やっぱり、ナマ身できいたほうが、
よりおもむきふかいであろう。・・・」(p215)

これは、司馬遼太郎全集第一期第16巻月報(昭和47・12)
の田辺聖子さんの文「司馬さんのこと」を
山野博史氏が引用しているのでした。

山野博史さんは、推薦文などの細部を見逃さずに、
「発掘 司馬遼太郎」を組み立てております。

「桑原武夫集」全10巻(昭和55・4~56・2)の
発刊時の内容見本に寄せた司馬さんによる推薦文を
引用するその前に、山野博史氏は、こう指摘しております。

「・・・司馬遼太郎の陣構えも周到で、
桑原武夫のために書くべきときに書くべき文章を
こしらえて、寸分のすきも見せなかった。」


うん。この本、何年かたってから、
ふと、取り出しては、はじめて読むように
読み返す本となっております。

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