この4月に、縁あって、二泊三日の京都旅行。
帰ってきて、読んだ3冊のなかに
「梅棹忠夫の京都案内」がありました。
さてっと、それから「えい、やあ」と
梅棹忠夫著作集全23巻を、古本で注文。
昨日は、あらためて古長谷有紀編
「梅棹忠夫のことば」(河出書房新社)を
最初からひらく。
目次のあとに
「本文の右ページは梅棹忠夫自身のことば、
左ページは古長谷有紀の解説である。・・
梅棹忠夫のことばは、主として
『梅棹忠夫著作集』(全22巻+別巻1
1989~94年 中央公論新社)から選んだ。
それぞれのことばには、著作集収録ものは
巻数とページを記した。さらにその先見性を
理解するために、いつ・どこで発せられたかを
示す初出を加えた。書誌情報としての詳細に
ついては、著作集を参照いただきたい。
・・・」
こうあります。
この第一章のはじまりの、「梅棹忠夫のことば」は
著作集第7巻「日本探検」より引用されていました。
その左ページ、古長谷有紀さんの解説が気になりました。
ところで、私なのですが、京都旅行の後、漠然とですが、
京都はどう語られればよいのか、と思っておりました。
それでなのでしょう。解説のはじまりに、
京都という言葉が、登場しているのにハッとしました。
それでは、
古長谷さんは、はじまりの解説をどう書いていたか?
その解説の、最後の4行を引用。
「梅棹忠夫は、京都生まれの京都育ちで、
京都を身体で理解していた。
しかし、京都は日本ではない、
といってもよいほど他の地域とは異なっている。
だから、
ほとんどの日本については知らない、と感じていた。
広島の福山誠之館に始まる、一連の『日本探検』の
記録は、京都育ちの日本知らずによる、
『未知への探求』の果実なのだった。」
はい。この本を水先案内人として、これで、
梅棹忠夫著作集の森へと、踏みこめる。
そんな気がしてきます。
これで、著作集第7巻「日本探検」のキッカケが
つかめた。うん。こいつは、ありがたい。
帰ってきて、読んだ3冊のなかに
「梅棹忠夫の京都案内」がありました。
さてっと、それから「えい、やあ」と
梅棹忠夫著作集全23巻を、古本で注文。
昨日は、あらためて古長谷有紀編
「梅棹忠夫のことば」(河出書房新社)を
最初からひらく。
目次のあとに
「本文の右ページは梅棹忠夫自身のことば、
左ページは古長谷有紀の解説である。・・
梅棹忠夫のことばは、主として
『梅棹忠夫著作集』(全22巻+別巻1
1989~94年 中央公論新社)から選んだ。
それぞれのことばには、著作集収録ものは
巻数とページを記した。さらにその先見性を
理解するために、いつ・どこで発せられたかを
示す初出を加えた。書誌情報としての詳細に
ついては、著作集を参照いただきたい。
・・・」
こうあります。
この第一章のはじまりの、「梅棹忠夫のことば」は
著作集第7巻「日本探検」より引用されていました。
その左ページ、古長谷有紀さんの解説が気になりました。
ところで、私なのですが、京都旅行の後、漠然とですが、
京都はどう語られればよいのか、と思っておりました。
それでなのでしょう。解説のはじまりに、
京都という言葉が、登場しているのにハッとしました。
それでは、
古長谷さんは、はじまりの解説をどう書いていたか?
その解説の、最後の4行を引用。
「梅棹忠夫は、京都生まれの京都育ちで、
京都を身体で理解していた。
しかし、京都は日本ではない、
といってもよいほど他の地域とは異なっている。
だから、
ほとんどの日本については知らない、と感じていた。
広島の福山誠之館に始まる、一連の『日本探検』の
記録は、京都育ちの日本知らずによる、
『未知への探求』の果実なのだった。」
はい。この本を水先案内人として、これで、
梅棹忠夫著作集の森へと、踏みこめる。
そんな気がしてきます。
これで、著作集第7巻「日本探検」のキッカケが
つかめた。うん。こいつは、ありがたい。