今日届いた古本に
梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)。
その解説は、原武史。
その解説のはじまりは、
「京都で生まれ育った梅棹忠夫は、
着任した大学や博物館を含めて、90年もの生涯の間、
全くと言ってよいほど関西の地を離れなかった。」
とこうはじまります。
すこしあとに、ご自身を語っておりました。
「東京に生まれ育ち、
東大大学院で政治学を専攻した私にとって、
学問とは何よりもまず専門的なテキストを読むことであった。
ゼミや研究会などで『わかりません』『知りません』と
発言することは、教授や他の院生から注がれる侮蔑的な
眼差しを覚悟しなければならなかった。・・・・
梅棹に代表される京大系の学問を、
東大の教授たちは明らかに一段低いものと見なしていた。
しかしいまになって・・・・
梅棹の著作をきちんと読んでこなかったことを後悔している。
その平仮名を多用する平易で明晰な文章にせよ、
世界に眼が開かれていながら片仮名や横文字を極力使わず、
権威ある学者の文章からの引用にも依存しない方法にせよ、
それでいてきわめてオリジナリティの高い仮説をごく自然に
提示してみせる発想力にせよ、もし東大時代にじっくりと
読んでいれば、視野狭窄になりがちな官学アカデミズムを
より相対化するのに、どれほど役立ったかわからないからだ。」
解説は、「京都で生まれ育った」と「東京に生まれ育ち」と
並べながら、はじまっているのでした。
さてっと、「ウメサオタダオと出あう
文明学者・梅棹忠夫入門」(小学館)は、
追悼の「ウメサオタダオ展」で、来場された方が、
アンケートがてら書き残した『はっけんカード』を中心にして、
各ページを、それで埋めるようにして並んでいる本でした。
そこから(44歳男)の方の文を引用。
「44歳。焼鳥屋のおやじです。
知的生産の技術を読んで以来、
梅棹ファンで、著作集22巻すべて読みました。
こんな焼鳥屋のおやじでも読める文章を
書ける学者はいません!
今回私のほとんど知りえなかった
写真や原資料はたいへんおもしろく見てまわりました。
梅棹さん、絵がうまい!
あれだけ描けたらおもしろいだろうなあ。
・・・・」(p135)
ハハハハハ。
還暦すぎてから、
梅棹忠夫著作集(全)を、古本で掛け声かけてからでないと
買えないような自分が、いかにも、もったいぶったことでも
しているようなそんな気がしてきました(笑)。
そうえいばと、思い浮かんだ新聞のコラムがある。
産経新聞2019年6月22日「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」。
「・・にしても、このところ週刊誌がつまらない。
部数トップの『週刊文春』からして大人の視点を欠き、
読むべき記事が少ない。今週号(6月27日号)の左柱は
またもや『小室圭さんが眞子さまに打ち明けた「隠し録音」』
・・・単なる匿名の証言。・・記事にするまでもあるまい。」
うん。そんな週刊誌事情を調べたあとに
最後にこうありました。
「『ニューズウィーク日本版』(6・25)の特集は
『弾圧中国の限界』。香港200万人デモを報じている。
『文春』もこういうテーマを取り上げなくては。」
うん。視野狭窄の官学アカデミズムを卒業した方が、
各週刊誌のトップをしているかのように思えてくる。
それより、「世界に眼がひらかれて」いる週刊誌を。
もどって、
原武史氏の解説の最後も引用しておきます。
「梅棹によれば、
『日本という国は、二重構造がすきな国である』。
具体的には、アマテラスとオオクニヌシ、
天皇と出雲国造、伊勢と出雲、東京と京都
といった関係があげられるだろう。
けれども両者は非対称の関係にあり、
梅棹は常に後者から前者を、
さらに日本全体を見ていたところがある。
『日本探検』が、今日なお類例のない文明論
としての輝きを失わない所以である。」
梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)。
その解説は、原武史。
その解説のはじまりは、
「京都で生まれ育った梅棹忠夫は、
着任した大学や博物館を含めて、90年もの生涯の間、
全くと言ってよいほど関西の地を離れなかった。」
とこうはじまります。
すこしあとに、ご自身を語っておりました。
「東京に生まれ育ち、
東大大学院で政治学を専攻した私にとって、
学問とは何よりもまず専門的なテキストを読むことであった。
ゼミや研究会などで『わかりません』『知りません』と
発言することは、教授や他の院生から注がれる侮蔑的な
眼差しを覚悟しなければならなかった。・・・・
梅棹に代表される京大系の学問を、
東大の教授たちは明らかに一段低いものと見なしていた。
しかしいまになって・・・・
梅棹の著作をきちんと読んでこなかったことを後悔している。
その平仮名を多用する平易で明晰な文章にせよ、
世界に眼が開かれていながら片仮名や横文字を極力使わず、
権威ある学者の文章からの引用にも依存しない方法にせよ、
それでいてきわめてオリジナリティの高い仮説をごく自然に
提示してみせる発想力にせよ、もし東大時代にじっくりと
読んでいれば、視野狭窄になりがちな官学アカデミズムを
より相対化するのに、どれほど役立ったかわからないからだ。」
解説は、「京都で生まれ育った」と「東京に生まれ育ち」と
並べながら、はじまっているのでした。
さてっと、「ウメサオタダオと出あう
文明学者・梅棹忠夫入門」(小学館)は、
追悼の「ウメサオタダオ展」で、来場された方が、
アンケートがてら書き残した『はっけんカード』を中心にして、
各ページを、それで埋めるようにして並んでいる本でした。
そこから(44歳男)の方の文を引用。
「44歳。焼鳥屋のおやじです。
知的生産の技術を読んで以来、
梅棹ファンで、著作集22巻すべて読みました。
こんな焼鳥屋のおやじでも読める文章を
書ける学者はいません!
今回私のほとんど知りえなかった
写真や原資料はたいへんおもしろく見てまわりました。
梅棹さん、絵がうまい!
あれだけ描けたらおもしろいだろうなあ。
・・・・」(p135)
ハハハハハ。
還暦すぎてから、
梅棹忠夫著作集(全)を、古本で掛け声かけてからでないと
買えないような自分が、いかにも、もったいぶったことでも
しているようなそんな気がしてきました(笑)。
そうえいばと、思い浮かんだ新聞のコラムがある。
産経新聞2019年6月22日「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」。
「・・にしても、このところ週刊誌がつまらない。
部数トップの『週刊文春』からして大人の視点を欠き、
読むべき記事が少ない。今週号(6月27日号)の左柱は
またもや『小室圭さんが眞子さまに打ち明けた「隠し録音」』
・・・単なる匿名の証言。・・記事にするまでもあるまい。」
うん。そんな週刊誌事情を調べたあとに
最後にこうありました。
「『ニューズウィーク日本版』(6・25)の特集は
『弾圧中国の限界』。香港200万人デモを報じている。
『文春』もこういうテーマを取り上げなくては。」
うん。視野狭窄の官学アカデミズムを卒業した方が、
各週刊誌のトップをしているかのように思えてくる。
それより、「世界に眼がひらかれて」いる週刊誌を。
もどって、
原武史氏の解説の最後も引用しておきます。
「梅棹によれば、
『日本という国は、二重構造がすきな国である』。
具体的には、アマテラスとオオクニヌシ、
天皇と出雲国造、伊勢と出雲、東京と京都
といった関係があげられるだろう。
けれども両者は非対称の関係にあり、
梅棹は常に後者から前者を、
さらに日本全体を見ていたところがある。
『日本探検』が、今日なお類例のない文明論
としての輝きを失わない所以である。」