つい先日、学校の先生が職場である教室で首をくくって自殺した、との報道を目にした。たしか何ヶ月前にも、新卒の先生が教室で自殺したことがあった。人間が貴重な生命を自ら絶つことに至るまでの過程は様々だろうが、日本の自殺者は3万人以上。交通事故死の3倍以上だ。死亡原因の中でも上位に。病死や事故死ではなく、自死が多いお国柄とはいったいどういうお国柄なのだろうか。
今回のケースは、帰宅が遅いために探したところ、職場で死んでいたのが発見されたとのこと。 今、学校現場は特に教師が大変な状況に置かれている。世間からの批判は、多くの場合、教師の姿勢・態度に集中している。そのため、以前はいじめ・学級崩壊が学校の大きな問題であったが、今は、生徒の自殺と並んで、教師の精神疾患による休職、途中退職が問題とされている。
自殺者の多くは、鬱的状況に置かれている人が多いとか、そういう立場でカウンセラー制度や悩みの相談システムが、職場や地域に出来つつある。学校は、生徒のそうした状況への対応もさることながら、教師たちへの精神的なフォローが必要とされている。
自殺者の心中を深くは察することは出来ないが、それにしても自らが働く職場、それも教師としての生命をかける現場で自死するとは。その心中はいかなるものであろうか。
残された家族、同僚はもちろん、突然残された子供たちの心を思うと、暗澹とした気持ちになってしまう。
本当に自殺の主たる要因は、個人の精神的な問題が大きいのだろうか。自殺の原因の多くを個人的なものに還元してしてしまうことで、何か見落としてはいないか。学校の今のシステム、あり方にも問題を感じてしまうのだ。殺伐とした精神風景の中からは、未来を育む姿は浮かんでこない。教師・学校だけではなく、保護者も地域ももう一度子供の教育のあり方、関わり方も含め、考えていく必要があろう。学校をとりまく保護者や地域にも問題を感じるから。
保護者の自分(自分の子供)さえよければ何も関わりたくない。一方で、少しでも学校がミスをすれば、それをあげつらい、教育委員会やマスコミにすぐに訴える姿勢の保護者も多いと聞く。少しでも授業が欠けたら、学力が下がったら、生活姿勢が乱れたら、それは教師の責任だ、何をしているのだ、と。家庭教育もそれ相応の責任があるはずだが。
こうした中で、教師としての焦りや悩み、苦しみが、自己責任重視の社会的風潮とあいまって、多くの学校現場(教師たち)を押しつぶしているのではないかとさえ思う。
今回のケースは、帰宅が遅いために探したところ、職場で死んでいたのが発見されたとのこと。 今、学校現場は特に教師が大変な状況に置かれている。世間からの批判は、多くの場合、教師の姿勢・態度に集中している。そのため、以前はいじめ・学級崩壊が学校の大きな問題であったが、今は、生徒の自殺と並んで、教師の精神疾患による休職、途中退職が問題とされている。
自殺者の多くは、鬱的状況に置かれている人が多いとか、そういう立場でカウンセラー制度や悩みの相談システムが、職場や地域に出来つつある。学校は、生徒のそうした状況への対応もさることながら、教師たちへの精神的なフォローが必要とされている。
自殺者の心中を深くは察することは出来ないが、それにしても自らが働く職場、それも教師としての生命をかける現場で自死するとは。その心中はいかなるものであろうか。
残された家族、同僚はもちろん、突然残された子供たちの心を思うと、暗澹とした気持ちになってしまう。
本当に自殺の主たる要因は、個人の精神的な問題が大きいのだろうか。自殺の原因の多くを個人的なものに還元してしてしまうことで、何か見落としてはいないか。学校の今のシステム、あり方にも問題を感じてしまうのだ。殺伐とした精神風景の中からは、未来を育む姿は浮かんでこない。教師・学校だけではなく、保護者も地域ももう一度子供の教育のあり方、関わり方も含め、考えていく必要があろう。学校をとりまく保護者や地域にも問題を感じるから。
保護者の自分(自分の子供)さえよければ何も関わりたくない。一方で、少しでも学校がミスをすれば、それをあげつらい、教育委員会やマスコミにすぐに訴える姿勢の保護者も多いと聞く。少しでも授業が欠けたら、学力が下がったら、生活姿勢が乱れたら、それは教師の責任だ、何をしているのだ、と。家庭教育もそれ相応の責任があるはずだが。
こうした中で、教師としての焦りや悩み、苦しみが、自己責任重視の社会的風潮とあいまって、多くの学校現場(教師たち)を押しつぶしているのではないかとさえ思う。