司馬遷の「史記」の中に、劉邦に謀反を企てた罪で、盟友だった韓信が、処刑される話があります。その話の中で、劉邦は韓信をそそのかした男を捕らえ、尋問する場面があります。その男は、弁論家(遊説家)でした。秦が滅びた後、天下を取ろうとして各地で群雄が立ち上がり、漢王(劉邦)が天下を取ってまだ間もない頃、劉邦の忠実な臣下であった韓信に策を与え、謀反をすすめた男でした。
尋問の際、この男は、韓信を小僧扱いしながらも、韓信の忠実な家来であったことを番犬に喩えます。犬は、主人にどこまでも忠実である、だから自分は、韓信に策を与え、番犬のように韓信以外の者には吼えまくった(非難し、韓信をそそのかした)のだ、そのどこが悪いか、と劉邦の前で弁明するのです。主人にあくまでも忠犬たらんとする、主人が危うい場面では、体をはって吼えまくる。主人以外の者は、すべて敵とみなし、どこまでも主人を守ろうする、まことに犬らしい姿勢です。実は、イシハラさんと浜渦さんの関係が、今の話とオーバーラップしてくるのです。
「泣いて馬謖を斬る」というふうに、イシハラさんは浜鍋氏を辞任させる決断を、そう表現しました。これも「三国志」に出ている話で、孔明が作戦を授け、こんこんと諭して軍の指揮を執らせた馬謖が、孔明の指示に従わず、大敗北した事に由来する話です。今回の場合には、ほとんど適さないたとえのようです。
むしろ、安禄山の乱によって、長安の都から落ち延びた玄宗皇帝が、不満を持つ臣下たちのため最愛の后・楊貴妃を泣く泣く処刑したことのほうが、適当な感じがします。いな、むしろ、二人の関係だけみると、かの韓信とその策士の関係の方が、最も適切な感じがします。主人と番犬の関係ですね。
辞任させる話し合いの中で、涙を流したというようなことをイシハラさんは話していますが、泣いた事だけが、「泣いて馬謖を斬る」の話と共通するだけだ、と思います。
ところで、散歩していると、犬を連れた飼い主によく会います。二人連れ添うように散歩するようすは、見ていてもほほえましい感じがします。しかし、時に大きくて厳つい犬が、むしろ主人を引っ張って、ドンドン自分の行きたい方に走って行く場面もたまに見かけます。
どっちが主人だか、主客転倒した滑稽さすら感じます。
今回の辞任劇、何だかそっちのほうがぴったりのたとえのような気がしてなりません。
尋問の際、この男は、韓信を小僧扱いしながらも、韓信の忠実な家来であったことを番犬に喩えます。犬は、主人にどこまでも忠実である、だから自分は、韓信に策を与え、番犬のように韓信以外の者には吼えまくった(非難し、韓信をそそのかした)のだ、そのどこが悪いか、と劉邦の前で弁明するのです。主人にあくまでも忠犬たらんとする、主人が危うい場面では、体をはって吼えまくる。主人以外の者は、すべて敵とみなし、どこまでも主人を守ろうする、まことに犬らしい姿勢です。実は、イシハラさんと浜渦さんの関係が、今の話とオーバーラップしてくるのです。
「泣いて馬謖を斬る」というふうに、イシハラさんは浜鍋氏を辞任させる決断を、そう表現しました。これも「三国志」に出ている話で、孔明が作戦を授け、こんこんと諭して軍の指揮を執らせた馬謖が、孔明の指示に従わず、大敗北した事に由来する話です。今回の場合には、ほとんど適さないたとえのようです。
むしろ、安禄山の乱によって、長安の都から落ち延びた玄宗皇帝が、不満を持つ臣下たちのため最愛の后・楊貴妃を泣く泣く処刑したことのほうが、適当な感じがします。いな、むしろ、二人の関係だけみると、かの韓信とその策士の関係の方が、最も適切な感じがします。主人と番犬の関係ですね。
辞任させる話し合いの中で、涙を流したというようなことをイシハラさんは話していますが、泣いた事だけが、「泣いて馬謖を斬る」の話と共通するだけだ、と思います。
ところで、散歩していると、犬を連れた飼い主によく会います。二人連れ添うように散歩するようすは、見ていてもほほえましい感じがします。しかし、時に大きくて厳つい犬が、むしろ主人を引っ張って、ドンドン自分の行きたい方に走って行く場面もたまに見かけます。
どっちが主人だか、主客転倒した滑稽さすら感じます。
今回の辞任劇、何だかそっちのほうがぴったりのたとえのような気がしてなりません。