都議選が事実上本番を迎えた。昨今のイシハラさんの、都知事としての資質を疑問視する声が、出始めた中での選挙戦。しかし、真正面からイシハラ都政のあやまりを掲げて、選挙戦に臨んでいる政党があるだろうか。
圧倒的与党体制の中で、イシハラさんと肩を並べているポスターの自民党候補は勿論、公明党も足立区議会副議長の汚職事件などでの「守りの選挙」とやらで、組織内をまとめるのに必死。民主党も、例の浜渦さんへの質問疑惑で、てんやわんやの分裂状態選挙。共産党は、議員の海外視察費問題を前面にと、どこもかしこも諸悪の根源に見て見ぬ振り。これじゃ変わりばえのしない結果となることは必定だ。
そうした中で、小生のブログにTBがあった。「とんでもない発言2『ババアが生きているのは悪しき弊害』」との内容だ。
イシハラ発言の中身。
「これは僕がいってるんじゃなくて松井孝典がいってるんだけど、文明がもたらした最も悪しきものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪ですって。男は80才90才でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって」
この発言は、2001年10月末のこと。その後、都議会での質問に対しても、「発言の片言隻語をとらえて都合よく断じるのは共産党の古来常套手段でファッショ的なデマゴーグ以外の何者でもない」(12月都議会)と居直った。たしかにイシハラさんはいずれの場でも「これは松井さんの見解」との前置きを述べている。では、惑星物理学を専攻する東大教授の松井氏は、本当はどのような話をしていたのか。
現在の人類だけが一万年もの間にわたって繁栄してきたのかという話題で、「実は現生人類だけが持っている生物学的特質によるのかもしれないんですよ。脳の中の。それはふたつあると言われていて、ひとつは『おばあさん仮説』というんだけど。現生人類だけがおばあさんが存在する。あばあさんっていうのはね、生殖年齢を過ぎたメスが長く生きるってことです。普通は生殖年齢を過ぎるとすぐ死んじゃう。哺乳動物でも、猿みたいものでも。これがいろいろな意味で人口増加をもたらすんですよ。」松井教授が人類を繁栄させた要素として肯定的に捉えているらしい「おばあさん」をイシハラさんは逆説的に、腐った文明を生きながらえさせた罪作りな存在と解釈したのか、首都の行政の長としてその存在を否定的に捉えた。(中略)イシハラさんにはこの種の差別的な言動が多すぎる。1999年9月、府中市の重度身体障害者施設での発言「ああいう人ってのは人格があるのかね。つまり意思持ってないんだからね」。2000年4月のいわゆる三国人発言。イシハラさんはそれでも致命傷を負うことがないばかりか、彼の女性観・人間観がそのまま都政に反映されてきたといえる。
以上の部分は、斎藤貴男著『空疎な小皇帝』(岩波書店)から一部引用したものである。2003年3月に発刊されたこの書は、今日なお石原慎太郎を考えるに当たってさまざまな示唆を与えてくれる書だ。
「石原待望論が映し出すこの国の危険なゆくえ」と表書きされたこの書には、
「台湾海峡での危険な火遊び」
「社会的弱者への冷たいまなざし」
「東京を舞台に戦争ごっこ」
「私物化される公共空間」
などの章立てで、「石原慎太郎」という問題に迫っている。特に、最近明らかにされた浜渦副知事(当時)の権力者ぶりがもうすでに明確に描き出されている。
人は閉塞状況に陥ると英雄を求める。長引く不況、蔓延するナショナリズムの気分の中で、政治家としての実績の乏しい石原慎太郎が時代の寵児となっていく危うい世相。石原現象に覆われた日本人の集団心理の前途。(前書きより)
都議選を目前に、改めてイシハラ都政(直接にはイシハラ知事の政策・方向性)を検証していく必要があるのではないか。その上に、都政の監視役・あるいは都民の側の立場としての議会をどうつくっていくかを真剣に考えていかなければならないと思う。
圧倒的与党体制の中で、イシハラさんと肩を並べているポスターの自民党候補は勿論、公明党も足立区議会副議長の汚職事件などでの「守りの選挙」とやらで、組織内をまとめるのに必死。民主党も、例の浜渦さんへの質問疑惑で、てんやわんやの分裂状態選挙。共産党は、議員の海外視察費問題を前面にと、どこもかしこも諸悪の根源に見て見ぬ振り。これじゃ変わりばえのしない結果となることは必定だ。
そうした中で、小生のブログにTBがあった。「とんでもない発言2『ババアが生きているのは悪しき弊害』」との内容だ。
イシハラ発言の中身。
「これは僕がいってるんじゃなくて松井孝典がいってるんだけど、文明がもたらした最も悪しきものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪ですって。男は80才90才でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって」
この発言は、2001年10月末のこと。その後、都議会での質問に対しても、「発言の片言隻語をとらえて都合よく断じるのは共産党の古来常套手段でファッショ的なデマゴーグ以外の何者でもない」(12月都議会)と居直った。たしかにイシハラさんはいずれの場でも「これは松井さんの見解」との前置きを述べている。では、惑星物理学を専攻する東大教授の松井氏は、本当はどのような話をしていたのか。
現在の人類だけが一万年もの間にわたって繁栄してきたのかという話題で、「実は現生人類だけが持っている生物学的特質によるのかもしれないんですよ。脳の中の。それはふたつあると言われていて、ひとつは『おばあさん仮説』というんだけど。現生人類だけがおばあさんが存在する。あばあさんっていうのはね、生殖年齢を過ぎたメスが長く生きるってことです。普通は生殖年齢を過ぎるとすぐ死んじゃう。哺乳動物でも、猿みたいものでも。これがいろいろな意味で人口増加をもたらすんですよ。」松井教授が人類を繁栄させた要素として肯定的に捉えているらしい「おばあさん」をイシハラさんは逆説的に、腐った文明を生きながらえさせた罪作りな存在と解釈したのか、首都の行政の長としてその存在を否定的に捉えた。(中略)イシハラさんにはこの種の差別的な言動が多すぎる。1999年9月、府中市の重度身体障害者施設での発言「ああいう人ってのは人格があるのかね。つまり意思持ってないんだからね」。2000年4月のいわゆる三国人発言。イシハラさんはそれでも致命傷を負うことがないばかりか、彼の女性観・人間観がそのまま都政に反映されてきたといえる。
以上の部分は、斎藤貴男著『空疎な小皇帝』(岩波書店)から一部引用したものである。2003年3月に発刊されたこの書は、今日なお石原慎太郎を考えるに当たってさまざまな示唆を与えてくれる書だ。
「石原待望論が映し出すこの国の危険なゆくえ」と表書きされたこの書には、
「台湾海峡での危険な火遊び」
「社会的弱者への冷たいまなざし」
「東京を舞台に戦争ごっこ」
「私物化される公共空間」
などの章立てで、「石原慎太郎」という問題に迫っている。特に、最近明らかにされた浜渦副知事(当時)の権力者ぶりがもうすでに明確に描き出されている。
人は閉塞状況に陥ると英雄を求める。長引く不況、蔓延するナショナリズムの気分の中で、政治家としての実績の乏しい石原慎太郎が時代の寵児となっていく危うい世相。石原現象に覆われた日本人の集団心理の前途。(前書きより)
都議選を目前に、改めてイシハラ都政(直接にはイシハラ知事の政策・方向性)を検証していく必要があるのではないか。その上に、都政の監視役・あるいは都民の側の立場としての議会をどうつくっていくかを真剣に考えていかなければならないと思う。