おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「穴」(百年文庫)ポプラ社

2012-05-28 20:55:31 | 読書無限
 カフカつながりで。カフカ「断食芸人」。長谷川四郎「鶴」。ゴーリキー「二十六人とひとり」。それぞれ読み応えのある作品。
 断食芸人。断食、檻の中で飲まず食わずで座り続ける芸。しかし、見世物としてもてはやされた時代はすっかり去り、今や落ちぶれてサーカス小屋の檻に入っている。見物客もなく、それでも矜持を失わない男。最後に藁くずと一緒に葬られてしまう。「美味いと思う食べ物が見つからなかったからなんだ。見つかってさえいればな、世間の注目なんぞ浴びることなく、あんたやみんなみたいに、腹いっぱい食べて暮らしていただろうと思うけど」これが最後の言葉。
 フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、常に不安と孤独の漂う独特の小説作品を残した。生前は『変身』など数冊の著書が一部に知られるのみだったが、死後、「死後は書簡を含め自作のすべてを焼き捨ててくれ」と頼まれた友人マックス・ブロートによって、未完の長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が発表されると、ブルトン、サルトル、カミュなどの実存主義文学者、哲学者から注目され、一躍、世界的なブームとなった。現在では20世紀文学を代表する作家と見なされている。「変身」「城」など、おもしろい(興味深い)小説に接した人も多いはず。
 この「断食芸人」では、カフカ自身の、自分を取り巻く世界への屈折した思い・寓話的世界を描いているといえる。
 日本では、「飢餓術師」という邦題で長谷川四郎が訳し、出版されたことも。
 その長谷川四郎。大学卒業後、南満州鉄道に勤めるが、35歳で召集され、対ソビエト監視隊員として国境線の監視所に派遣されるが、昭和20年8月15日、突撃寸前、玉音放送で終戦を知る。武装解除の後、シベリヤに抑留。こうした経験が、作品に色濃く反映されている。
 「鶴」は、国境線の監視所、塹壕の小さなのぞき穴からみた世界を描く。最後は、敵の砲撃によって自らの血の海に沈んでいく。現実的な緊迫感と奇妙な開放感が混じり合った作品。
 マクシム・ゴーリキー(1868年3月28日 - 1936年6月18日)。ロシアの作家。ペンネームのゴーリキーとはロシア語で「苦しい人」の意味。社会主義リアリズムの手法の創始者で社会活動家。
 家具職人の子として生まれる。10歳で孤児となった後、話が上手であった祖母に育てられる。祖母の死は彼を深く動揺させた。1887年の自殺未遂事件の後、ロシアの各地を職を転々としながら放浪する。その後、地方新聞の記者となる。1892年にトビリシで、『カフカス』紙に最初の短編『マカル・チュドラ』が掲載され、はじめて筆名としてゴーリキーを名乗った。1895年、『チェルカシュ』を大衆雑誌『ロシアの富』に発表。1898年にはペテルブルクで短編集『記録と物語』を刊行し、一躍人気作家になった。1899年、散文詩『26と1』、最初の長編物語『フォマ・ゴルデーエフ』を発表。1902年、代表作である戯曲『どん底』を発表し、同年モスクワでコンスタンチン・スタニスラフスキー(リアリズム演劇、演出・演技方法のメソッド創設者として名高い)の演出で上演され、翌1903年、ベルリンでも上演された。
 「二十六人とひとり」は、1899年に書かれた。カザンのパン製造工場での体験を元にした作品。短編の醍醐味を味わえる。薄暗い地下室でパン焼きに明け暮れ、疲れ切った男たちのささやかな希望をつなぐ、一人の若い女性。果たして結末は?

さてまったくの余談。
ポケモンの一つ、ゴーリキー。???
他のポケモンも含めて、ネーミングは実におもしろい。タネ、進化系など多彩。次々と生みだしていくんですから。
コメント
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