おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「大正大震災ー忘却された断層」(尾原宏之)白水社

2012-05-10 22:12:29 | 読書無限
 1923(大正12)年9月1日関東地方を襲った「関東大震災」。筆者によれば、この言い方が一般化したのは、戦後であった、と。
 ここ10年ばかりの間に、日本は、東日本大震災、阪神淡路大震災と二つの「大震災」を味わった。その際にも、その「大震災」というネーミングの先行としてこの大地震をあげることが多い。関東・東海地方に巨大地震が発生するのは、時間の問題とも言われている。そのとき、どういうネーミングになるのか、不謹慎ながら興味深いものが・・・。
 地域名を冠にして大地震の呼称を決定するのは、当然ともいえるが、「関東大震災」について、筆者の問題意識は、たんなる関東地域限定の大災害ではなかった、明治・大正・昭和という歴史の流れの中で、この大地震・大災害を、その後の日本の歩みを決定づける、思想史的事件として捉え直すべきだ、と。そして、この「大正大震災」が歴史の「断層」となっていてはならないことを明らかにしていく。
 震災前には、東京・横浜を徹底的に破壊したこの大地震への漠とした予感が巷では渦巻いていた。さらに、発生した後には、当時の荒廃しきった人心のおごりを正すべく天の罰を受けたとする「天譴論」(天罰論)が声高に叫ばれたことなどを明らかにする(去年、イシハラ知事が「天罰」だ、と。このようなご託宣を述べる人たちが当時も多くいた)。
 大正天皇の時代。明治あるいは昭和と比較して、歴史的には埋もれがちな時代。その末期に起こった、この大震災が「帝都」復興、さらには軍国主義の台頭へとつながり、後の昭和に引き継がれ、昭和20年の敗戦を迎える、結果的にはその契機になっていったことを当時の言論出版物をを資料にして、実証的に追求していく。
 震災被害救済、復興のために、軍隊が大いに貢献し(意図的な流言飛語によって朝鮮人虐殺などを引き起こさせた警察権力への不信・不満に比べて)多くの国民の感謝・感動となって、軍隊に対する見方を好意的に大変化させ、それが後に軍部主導の「国民皆兵」と総力戦体制へと移行していくことにつながっていった。そうした一般国民の態度の変化を明らかにする。
 特に興味深いのは、遷都論。過去にも「安政の大地震」などの大地震が相次ぎ今後も危ない、関東・東京に首都(帝都)を置くことは、国家存続の危機にもつながる、この際、遷都とすべきだ。その有力地として大阪・関西地域が名乗りを上げる。未だ輝きを失わなっていない商都・大阪の地をもって、日本復興を果たす。政治と経済、官と民との一大融合としての新首都(新帝都)建設を行うべきだ、と。
 大阪(港)を自由都市として整備し、太平洋貿易の中心地に据える構想などの主張も取り上げられている。結果的には、官重視・主導で、東京都(帝都)復興になっていくわけだが(震災直後の12日に下された「東京は帝国の首都」「旧形を留めずと雖依然として我国都たるの地位を失わず」という詔勅によって遷都論議は終熄する)。
 遷都論。空理空論という勿れ。確実視される「関東・東海大地震」の到来を思うと、遷都の議論は必要かも知れない。ここまでくると、橋下市長率いる「大阪維新の会」の存在、大阪都構想、地方分権、官から民へ、などの政治主張が現実味を帯びてくる。そんな感想がふと浮かんできた。
 しかし、筆者は、帝都復興に辣腕をふるった後藤新平を長谷川如是閑が「臆病なムッソリーニ」とたとえたことを引き合いに出しながら、当時の政治が「個人的英雄」の能力や思いつきによって左右される未熟で幼稚な政治状態を醸しだし、特に既存の政党攻撃者たる人物を今に至るまで(特に東日本大震災・福島原発事故以降の政治状況下で)礼賛していることにくぎを刺している。そこに、筆者が、「関東大震災」を思想史的事件として取り上げたゆえんもある。
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