「大脱走」ペンギン、82日ぶり保護…外傷なし(読売新聞) - goo ニュース
葛西臨海公園の水族館から脱走?したというニュースを目にした時、すぐに水上勉の「ブンナよ木からおりてこい」が浮かびました。ずいぶん前に、劇団青年座の芝居を観た時の内容をです。
跳躍力に優れ、木登りも巧みなトノサマガエルのブンナは、ちっぼけな池で暮らすのに飽き足らなくなり、新天地を見つけようと周囲の反対にも耳を貸さず、土の広場となっている椎の木の頂上に登っていきます。しかし、天敵のヘビなどがいない天国に思えたその場所は、トビの餌の保管場所でした。そこで、ブンナは、自分たち蛙の敵だと思っていたスズメ、モズ、ヘビなどが、泣いたり悔やんだり、怒ったり、諦めたりしながら、最後にはトビに食われ死んでいくところを目の当たりにします。そして敵だと思っていたネズミから、トビは死んだ獲物は食わない、自分の死んだ後、体から虫が湧いてくるからそれを食べて生きろと言って命を助けられます。ブンナはそれを食べて地上に降りる時を待ちます。椎の木の頂上にひとり生き残ったブンナは、蛙の仲間につらかった体験を話して聞かせると同時に、自分達は皆、生きるために他の生きものを食べているんだと、みんなの生命はつながっているのだから大切に生きなければならないと皆に語りかける。
生き延びた自分は、他の動物の生命により生かされていること、そして、すべての生き物が生命の尊さを抱えて生きていることにブンナは気づく。
もちろん、このペンギン、ブンナとは大違い。まだ幼く、性別もはっきりしない、とのこと。ひょんなことから外界に飛び出したにすぎないでしょう。東京湾や江戸川には外敵もなく、えさも豊富、さぞかし自由を満喫した? かな。でも、仲間に外界の自由ですばらしい(本当は必死で餌をあさっていたのかもしれない)様子を語って聞かせたら、ブンナのようなペンギンが出てくるとも限らない。
少しの不自由さを我慢すれば、餌も豊富な水族館の方がはるかにましだ、と長老のペンギンは語って聞かせるでしょうが。
「ブンナよ木からおりてこい」。もともとは、1972(昭和47)年に『蛙よ木からおりてこい』という題で新潮少年文庫シリーズから刊行されましたが、劇団青年座が1978(昭和53)年に脚本化し上演した時、今のようなタイトルになりました。
葛西臨海公園の水族館から脱走?したというニュースを目にした時、すぐに水上勉の「ブンナよ木からおりてこい」が浮かびました。ずいぶん前に、劇団青年座の芝居を観た時の内容をです。
跳躍力に優れ、木登りも巧みなトノサマガエルのブンナは、ちっぼけな池で暮らすのに飽き足らなくなり、新天地を見つけようと周囲の反対にも耳を貸さず、土の広場となっている椎の木の頂上に登っていきます。しかし、天敵のヘビなどがいない天国に思えたその場所は、トビの餌の保管場所でした。そこで、ブンナは、自分たち蛙の敵だと思っていたスズメ、モズ、ヘビなどが、泣いたり悔やんだり、怒ったり、諦めたりしながら、最後にはトビに食われ死んでいくところを目の当たりにします。そして敵だと思っていたネズミから、トビは死んだ獲物は食わない、自分の死んだ後、体から虫が湧いてくるからそれを食べて生きろと言って命を助けられます。ブンナはそれを食べて地上に降りる時を待ちます。椎の木の頂上にひとり生き残ったブンナは、蛙の仲間につらかった体験を話して聞かせると同時に、自分達は皆、生きるために他の生きものを食べているんだと、みんなの生命はつながっているのだから大切に生きなければならないと皆に語りかける。
生き延びた自分は、他の動物の生命により生かされていること、そして、すべての生き物が生命の尊さを抱えて生きていることにブンナは気づく。
もちろん、このペンギン、ブンナとは大違い。まだ幼く、性別もはっきりしない、とのこと。ひょんなことから外界に飛び出したにすぎないでしょう。東京湾や江戸川には外敵もなく、えさも豊富、さぞかし自由を満喫した? かな。でも、仲間に外界の自由ですばらしい(本当は必死で餌をあさっていたのかもしれない)様子を語って聞かせたら、ブンナのようなペンギンが出てくるとも限らない。
少しの不自由さを我慢すれば、餌も豊富な水族館の方がはるかにましだ、と長老のペンギンは語って聞かせるでしょうが。
「ブンナよ木からおりてこい」。もともとは、1972(昭和47)年に『蛙よ木からおりてこい』という題で新潮少年文庫シリーズから刊行されましたが、劇団青年座が1978(昭和53)年に脚本化し上演した時、今のようなタイトルになりました。