おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

子規記念野球場、奏楽堂、・・・上野公園散策。

2012-05-16 21:39:28 | 歴史・痕跡

寛永寺参道脇。壊れたままの灯籠。葵のご紋入り。
寛永寺の本坊の表門。修復中。慶応四年の彰義隊の戦争により焼失し、現在はその表門だけが往時の姿を留めていて、現在でも官軍の攻撃による弾痕(だんこん)が数多く残り、戦争の激しさを偲ばせている、らしい。
せめて案内板だけでもパチリ。周囲は木々に囲まれ、その脇には、小さな花が咲いていました。
正岡子規記念野球場。公園の真ん中にある草野球場。公園内のベストポジションにあることに、曰く因縁がありそう。
 ここで少し蘊蓄を。
 歌人、俳人で名高い正岡子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、1889(明治22)年に喀血してやめるまでやっていました。ポジションは捕手。幼名である「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いたことも。
 「ベースボール」を「野球」と最初に翻訳したのは中馬庚という人物ですが、読み方(のぼーる)は異なりますが「野球」という表記をすでにその4年前に行い、さらに「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などの外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮(中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名)」と日本語に訳したのは子規だそうです。
 また、「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」などと野球に関係のある句や歌を詠むなどしています。ちなみに、子規は2002(平成14)年に野球殿堂入りをしています。そういう因縁があるのでは、簡単に草野球場をつぶすわけにはいきませんね。
記念碑。「春風や まりを投げたき 草の原」(子規)。
ついでに、俳句と短歌をご紹介。
・柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
・春や昔十五万石の城下哉
・をとゝひのへちまの水も取らざりき
・鶏頭の十四五本もありぬべし
・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
・いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす
・足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを
旧東京音楽学校奏楽堂。日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールとされる。現東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の演奏会場として、1890(明治23)年に建設された。老朽化のため、1983(昭和58)年に台東区へ譲渡され、台東区は解体・修理後に上野公園内へ移築を行い、現在、一般公開されている。1988(昭和63)年1月、国の重要文化財に指定された。
建物の傍らにある滝廉太郎の銅像。
摺鉢山古墳。東京文化会館の西側裏手にあるこんもりとした山。摺鉢山は、その形状が摺鉢を伏せた姿に似ているところから名付けられた。ここから弥生式土器、埴輪の破片などが出土し、約1500年前の前方後円形式の古墳と考えられている。現存長70メートル、後円部43メートル、前方部幅は最大で23メートル。後円部の道路との比高は5メートルである。現在、丘の上は休憩所となっているが、昔のままに摺鉢の形を保っている。
前方後円墳と見えなくもないが。
階段を登ると、休憩所(頂上)。
遠目からみたもの。古墳とは気がつかず通り過ぎてしまいそうです。
科学博物館脇のD51蒸気機関車。反対側は、シロナガスクジラ。取り合わせがよく分かりません。

 現在、科学博物館では、マチュピチュ発見100年記念「インカ帝国」展を開催中。これはおもしろそうです。
コメント
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