おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

郵政民営化法案可決へ粛々と進む

2005-06-15 22:15:24 | 平和
 本当に民主党の責任は大きいと思う、国会の現状を見ると。今国会の低調ぶりは、野党特に民主党の姿勢にあるといっても言い過ぎではないだろう。
 重要な課題があるにもかかわらず、早くも審議拒否をして、対中国・韓国、靖国問題に対するコイズミ首相への追求のタイミングを逃した。そのうち、何となく国会に復帰して審議に応じた。
 しかし、対案を持たない悲しさ、何を言っても迫力がない。むしろ自民党・公明党のペースにのせられているだけ。民営化法案そのものも、自民党内の反対派をどうなだめるかだけに焦点が。靖国問題も、自民党の長老たちの発言ばかりが新聞を賑わす有様。
 神崎さんの恫喝発言にシュンとなった反対派。そのうち、都議会選挙モードになったら、もう皆浮き足だってしまって、審議時間はそこそこあっても、中身は???のまま審議が進む。
 あとは、おそらく付帯決議(地方の郵便局は残すくらいの)か何かで、反対派を封じ込めて、一件落着! そして、都会にある郵便局のうち、特定郵便局以外は統廃合となっていくのは、目に見えている。郵貯も保険も今まで通り。
 これで何の改革なのっていうことで、またしてもコイズミさん、ニコニコ顔。こうして流れは、都議会選挙がおわるまでは休戦。再開したら、ちょっとやって審議打ち切り。参議院に回して会期延長したその範囲で、見事成立。そのうち、8月15日を迎えてコイズミ靖国参拝へと話題が移る。 気がつけば、コイズミ改革の総仕上げ、即ち、軍事基地統廃合から、そして日米軍事一体化路線の完成へと・・・おっと、その前に、「教育基本法」の改正があった。
 憲法はまだ手を付けないが、そのための国民投票法が俎上にはのぼる。
 しらっとした雰囲気の中で、重要課題が議論もされず気がつけば成立もしくは妥協している。国民は蚊帳の外。民主党の責任も自民党以上に大きい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ババアが生きているのは悪しき弊害

2005-06-14 22:59:30 | 読書無限
 都議選が事実上本番を迎えた。昨今のイシハラさんの、都知事としての資質を疑問視する声が、出始めた中での選挙戦。しかし、真正面からイシハラ都政のあやまりを掲げて、選挙戦に臨んでいる政党があるだろうか。
 圧倒的与党体制の中で、イシハラさんと肩を並べているポスターの自民党候補は勿論、公明党も足立区議会副議長の汚職事件などでの「守りの選挙」とやらで、組織内をまとめるのに必死。民主党も、例の浜渦さんへの質問疑惑で、てんやわんやの分裂状態選挙。共産党は、議員の海外視察費問題を前面にと、どこもかしこも諸悪の根源に見て見ぬ振り。これじゃ変わりばえのしない結果となることは必定だ。
 そうした中で、小生のブログにTBがあった。「とんでもない発言2『ババアが生きているのは悪しき弊害』」との内容だ。
 イシハラ発言の中身。
 「これは僕がいってるんじゃなくて松井孝典がいってるんだけど、文明がもたらした最も悪しきものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪ですって。男は80才90才でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって」
 この発言は、2001年10月末のこと。その後、都議会での質問に対しても、「発言の片言隻語をとらえて都合よく断じるのは共産党の古来常套手段でファッショ的なデマゴーグ以外の何者でもない」(12月都議会)と居直った。たしかにイシハラさんはいずれの場でも「これは松井さんの見解」との前置きを述べている。では、惑星物理学を専攻する東大教授の松井氏は、本当はどのような話をしていたのか。

 現在の人類だけが一万年もの間にわたって繁栄してきたのかという話題で、「実は現生人類だけが持っている生物学的特質によるのかもしれないんですよ。脳の中の。それはふたつあると言われていて、ひとつは『おばあさん仮説』というんだけど。現生人類だけがおばあさんが存在する。あばあさんっていうのはね、生殖年齢を過ぎたメスが長く生きるってことです。普通は生殖年齢を過ぎるとすぐ死んじゃう。哺乳動物でも、猿みたいものでも。これがいろいろな意味で人口増加をもたらすんですよ。」松井教授が人類を繁栄させた要素として肯定的に捉えているらしい「おばあさん」をイシハラさんは逆説的に、腐った文明を生きながらえさせた罪作りな存在と解釈したのか、首都の行政の長としてその存在を否定的に捉えた。(中略)イシハラさんにはこの種の差別的な言動が多すぎる。1999年9月、府中市の重度身体障害者施設での発言「ああいう人ってのは人格があるのかね。つまり意思持ってないんだからね」。2000年4月のいわゆる三国人発言。イシハラさんはそれでも致命傷を負うことがないばかりか、彼の女性観・人間観がそのまま都政に反映されてきたといえる。

 以上の部分は、斎藤貴男著『空疎な小皇帝』(岩波書店)から一部引用したものである。2003年3月に発刊されたこの書は、今日なお石原慎太郎を考えるに当たってさまざまな示唆を与えてくれる書だ。
 「石原待望論が映し出すこの国の危険なゆくえ」と表書きされたこの書には、
「台湾海峡での危険な火遊び」
「社会的弱者への冷たいまなざし」
「東京を舞台に戦争ごっこ」
「私物化される公共空間」
などの章立てで、「石原慎太郎」という問題に迫っている。特に、最近明らかにされた浜渦副知事(当時)の権力者ぶりがもうすでに明確に描き出されている。
 
人は閉塞状況に陥ると英雄を求める。長引く不況、蔓延するナショナリズムの気分の中で、政治家としての実績の乏しい石原慎太郎が時代の寵児となっていく危うい世相。石原現象に覆われた日本人の集団心理の前途。(前書きより)

 都議選を目前に、改めてイシハラ都政(直接にはイシハラ知事の政策・方向性)を検証していく必要があるのではないか。その上に、都政の監視役・あるいは都民の側の立場としての議会をどうつくっていくかを真剣に考えていかなければならないと思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無節操もここまでくるとお見事

2005-06-13 22:33:05 | 平和
 近所の学校の塀に、都議選の掲示板がつくられた。いよいよ都議選も本格化。郵政民営化も一時棚上げ。それにしても公明党、なりふり構わず、全員当選を至上命令に突き進む。創価学会員もここへ来て、心なしか元気になってきた。彼らは選挙運動が最高の組織活動となっている。
 裏切り者はとことん追いつめろ!今や、矢野元書記長も粛正されたようす。いっさいTVに出なくなった。体でも悪いのかなと思ったら、何だか批判された模様。
 こうしてろくでもない連中が、ますますのさばる政界。学会員も全くの無節操、上が右と言えば右を向く、左と言えば左。自民党支持というと、もう自民党支持。それに逆らうと罰が当たる。敵対者には非難囂々、誹謗中傷は当たり前。それでいて、一票のためには、にこにこ笑顔で戸別訪問まがいのことを平気で行う。同窓会にも乗り込んでF票獲得に必死。
 今回の都議選。自分たちが立候補しない選挙区では、自民党候補を支持することを決定した。ありがた迷惑な自民党候補もいるが、ホッと安堵する候補者もいるとか。ギブアンドテイクならぬギブばかりでもいいのだそうだ。なぜなら、都議会第2党の座を民主党に奪われたくないから。もう党利党略もここまでくれば立派。前回は、共産党を追い落とすために、民主党に票を回した選挙区もあったのだから。
 政策も何もない、ただただ議席獲得のためには、脅しに、すかしに、猫なで声。究極は、衆院選挙で、小選挙区制を廃して、一部の都市圏での中選挙区制の復活を目論んで、自民党に陰に陽に圧力をかけ実現させる。そうすれば、お家安泰と。
 まったく、ここまで無節操、無定見、無責任、自己中心にはただただあきれ果てるのみ。
 結局、都議選の投票率も低く、公明党全員当選、共産党激減、民主党現状維持、なんてことになったら、東京にとどまらず国政に与える悪影響は必至だ。
 学会の皆さん、速やかに目を覚ましておくれよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死してもなお終わりのない兵士

2005-06-12 21:41:00 | 読書無限
 コイズミ首相の靖国参拝問題。週刊誌によれば8月15日説。これじゃ、中国や韓国の神経を逆なでするようなものだと思うが、コイズミさんは本気らしい。こういう行為やそうする人間を、本来の意味での「確信犯」という。「宗教的・政治的信念の上からたとえ悪いことだとされることでも行う」ということだ。コイズミさんは「悪いことだと承知して悪事を行う」のではない。だから、そう簡単にことは終わりそうもない。
 ところで、最近、「靖国神社問題」を、死んだ兵士とその肉体、霊、さらに国家(軍隊)との関わりについて書かれたものを読んだ。新たな視点を感じたので紹介したい。
それは、波平恵美子さんの『からだの文化人類学』(大修館書店)のなかの、「靖国の死なない兵士たち」と題された章である。
 
波平さんは、まず「兵士は戦闘のための要員であり、たとえ破壊力の強い武器を採用したとしても、その身体は軍隊にとって必要不可欠の要素である。兵士の身体は傷ついたりさらには死亡して戦闘力を失うことになったとしても、軍隊にとっては重要な存在である。なぜなら兵士の身体は、軍隊を、そして軍隊をその最大要素とする近代国家の成立以来、国家を表象するものだからである。兵士である限り、生前も死後も、そして国家が軍隊組織を持つ限り、その関係は持続することになる。」と戦(病)死した兵士を位置づける。
 
 軍隊では、兵士の人格は極小化される一方で、兵士の身体の存在は極大化される。軍隊においては、常に、所属するすべての兵士の存在確認を行うことが最重要であり、たとえ一人の兵士でもその不在は軍隊組織をゆるがすことになるとされる。逃亡は絶対に許すべからざる行為であり、罪は大きいのだ。個々の兵士の死亡についても、個々の身体と照らし合わせてその死亡が確認されることになる。戦場において野戦病院において・・・。 
 
 この観点から、筆者は「一世紀以上前に戦死した兵士の個人名が消失されることなく靖国神社で祀られているのは、死亡してもなお、兵士はある場所に集合し組織を守ることを要請され、戦死者は死後も兵士として存在し続けることを意味する。現在の日本には、もはや軍隊組織が存在しないにもかかわらず、戦死した兵士の霊魂が集合体として存在していることが、靖国神社が政治的議論の対象となる理由である」としている。
 
 通常、兵士が無事兵役を全うし軍務から解かれた時には、「兵士」としての個人は終わることになる。しかし、兵士として戦死(戦病死)した者は、靖国神社に祀られているかぎり、軍務から解かれることはない。しかも、太平洋戦争では自分が死んでもおかしくない、たまたま生き残ったにすぎないという(九死に一生を得た)兵士も多い。すでに兵役を終えていた人々、抑留された人々、内地に辛うじて引き上げてきた人々。戦後も生き続ける中で、さまざまな思いを抱きながら生きてきた、多くの生き残りの兵士たち。靖国神社に祀られた僚友への思いも複雑であることを元兵士から直接耳にしたことがある。身代わりに死んでいったとも言える僚友への思い・・・。
 
 そこにまた、波平さんは、靖国神社信仰に、戦死者を非業の死を遂げた者とする「御霊」信仰があること、一般的には、死後50年を過ぎれば特別な者でない限り、「先祖代々」となって個別に祀られることはないにもかかわらず、戦死者のみが永久に祀られることに、そうした信仰の存在を指摘する。そこから、靖国神社に祀られた戦死者たちは、「国難に殉じた方々」とし、「国を護って下さる方々」とみなす発想が生まれ、またそこに、軍国主義の残滓を見る立場も生まれる、と。
 
 さてこうしたところから、我々は何を受け止めるか。
 コイズミ参拝問題は、60年前に終わった戦争の戦死者への追悼という具体的な問題なのだ。直接的に父が祖父が戦争で死んだ、という時代はほぼ終わりつつある。誰も直接の当事者がいなくなってもこれから先、死者への追悼をどう行っていくかにあるのだ。
 引き合いに出すことはあまりよくないが、広島や長崎の原爆慰霊祭は、たとえ100年経っても長く続けていかなければならないものだ、原爆の悲惨さを語り継ぐ上で。
 そうとらえたとき、8月15日を中心としての、戦争の悲劇を後世に語り継ぎ、平和を祈念する行事としては、明治以来の「靖国神社」信仰ではもうどうにもならなくなってしまっているのではないだろうか。日本として、国家100年の計に立って、戦没者ためのどの宗派にもよらない国立の慰霊施設をつくることが今求められていることではないか。
 小異を捨てて、大同につくことも大事だ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は旧暦で端午の節句

2005-06-11 11:32:32 | 世間世界
 今日は、旧暦でいえば、端午の節句(5月5日)。
 日本は明治5年、それまでの太陽太陰暦(太陰暦)を太陽暦(グレゴリオ暦)にしました。「明治5年12月3日を明治6年1月1日にする」という太政官布告によっていっきに太陽暦に移行したわけです。これでわかる通り、もうすでに旧暦と25日以上の差が出てきたわけですね。それがいまだに尾を引いていて、今日・6月11日が旧暦の5月5日と、もうすでに1月以上も差が出てしまいました。でも心配することはなく、旧暦ではいろいろ知恵を用いて修正していますので、2ヶ月も3ヶ月も差が開くことはあり得ません。
 日本の伝統・風習は旧暦に基づくものが多いので、天然・自然の推移と実際とが大きく違うことになってしまった。夏至や冬至は今の暦と同じでしょうが、お盆、これは大きく違うし、お正月(元旦)も大きく違ってしまいます。そう、春秋のお彼岸のお中日はどうだったのでしょうか。
 もともと太陰暦は、実際の季節の移り変わり(特に農作業などに関わっては)と齟齬が生じやすいものでしたから、閏月だとか色々工夫をしてもまだまだ実際と違うことになる。そこで、中国から取り入れた「24節気」をもとにした生活のほうが、実際の生活にあっていました。この24節気のほうは、今の暦の進み方とそう大きく変わらないようですね。そうして、昔から日本人は、生活実感と暦とをうまく組み合わせて、生活していたというわけです。古歌でも「年の内に春は来にけり去年とや言はん今年とや言はん」などと、暦の上で年が明ける前に立春(24節気のひとつ)を迎えた場合を歌っています。
 ところで、五月雨とか五月晴れなどというのも、今とは違います。五月雨は、今の梅雨のことですし、五月晴れは、じめじめした梅雨の合間に晴れた日の素晴らしさをいいました。今のゴールデンウイークの晴れた日などを言うのではなかったのですね。新聞でも、今や5月の澄んだ青空をさしてしまうようになりましたが。
 こうした生活風習のだいたいは、京都の地の自然環境・お公家さんたちの生活意識が反映されたものが多く、今の東京中心の生活感覚ではありません。なにしろ荒戎(あらえびす)にすぎませんから、当時の関東地方は。まさに「文化果つる」地であったのです。まして東北などは、眼中にありませんでした。(ちょっと話題がそれますが、降りみ降らずみの「時雨(しぐれ)」なども、京都地方特有の通り雨のような気がします。)
 それにしても、明治5年。明治維新から5年。なんでもかんでも大変化の年に、一気呵成にこうした荒業をやってのけるところに、明治という時代のすごさがありますね。ちなみに、この年の12月はわずか2日しかなかったわけで、いきなり明治6年元旦です。役人はあわてたでしょうね、なにしろ12月分の給料は出なかったんですから。
 一説によると、まだまだ財政基盤の弱かった明治新政府が、役人の12月分の給料を払わなくて済むようにしたためだという。いつの時代も大変化というのは、一気に有無を言わせずやるしかないのですかね。
 でも、そのため、今もこうして、旧暦とのすれ違いを有形無形に感じているのですが。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ梅雨入り

2005-06-10 21:06:42 | つぶやき
鬱陶しいの鬱は鬱病の鬱
それでなくても鬱気味
天気と心の関係は大いにあり
低気圧が近づくと気分の低下
高気圧が覆うと気持ちも晴れ晴れ

若い人にそれも若い女性に出会うと
心もうきうき

職場に研修で若い女性が3名
オジンオバンの職場も
いっとき華やかな
オジンオバンの世界もいっとき賑わいを見せた

若い人、元気溌剌
話題も豊富
最近の若い女性よくしゃべり
よく食べる
お菓子、お菓子、お菓子

研修中も暇さえあれば
話す
食べる
笑う・・・
つられてこちらも
話す
笑う
食べるともたれるからそれはなし

服装だけは3人そろって
皆真っ黒スタイル
ちょっとお通夜にでもといういでたち
それでもしっとり
落ち着いた雰囲気はふだんから???

表面は怖いオジさんと
表面は優しいオバさんに
囲まれて研修に励む姿
蚊帳の外の一言居士のおじさんは
ブツブツブツ仏・・・

その足元は何だ!その格好は何だ!
それじゃ一人前にはなれんぞ!
でもそのお菓子をそうチョコレートを頂戴よ

3人とも夜遅くまで研修が続く
オジンさんはささっと帰宅
夜まで一日の反省と明日の準備と
3人仲良く励む、励む、励む・・・

こうしてオジンオバンばかりの職場が
少し明るく輝いた
そして3週間があっという間に終わって
これではいオシマイ!

来週からはまたもとのオジンとオバンの日々が続く
話題はきまって退職後の話、老後の話、年金の話、孫のこと、娘の結婚・・・

達者で暮らせ!
又会う日まで
娘たちよ!

こうして来週からの静けさに耐えていく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会も恫喝やくざ路線

2005-06-09 22:48:03 | 平和
 神崎組長が恫喝しました。郵政民営化法案がもつれて解散になったら、反対派は支持しない。学会組の票は、渡さないということですね。この一言で、ヒヤッとクビをすくめた自民党議員は、いったい何人いたでしょうかね。皆、この恫喝ほど怖いものはなさそうです。
 今や、自民党の組員のうちで、学会票がなくては当選できない組員、けっこういるようです。
 では、神崎組長は郵政民営化について、賛成の根拠やら、支持する理由を、本当に世間に説明してきたでしょうか。身内である学会員にも、説明してきたでしょうか。巷にはほとんど伝わって来ません。どうも、ただただコイズミ大組長のいいなりで従ってきただけではないでしょかね。
 それが、いよいよ都議選が近づき、法案成立が会期内には無理だと分かったとたん、都議選前の衆議院通過をめざすのか、それとも都議選後にするのか、その判断は保留したままでの発言。「都議選イノチ」の公明組にとっては、衆議院が解散になったらお家の一大事。どうしても選挙は一つに限る。そこで、不穏な動きをしている自民党の議員連中を恫喝したわけです。もう支持しないぞってなことで。
 かといって、学会票が他の政党に行くわけでもなく、公明党が立候補しない選挙区では、所詮はいい加減な自公選挙協定(選挙談合手打ち式路線)で自民党候補者に学会票を回すのは、目に見えていること。それを承知で発言する神崎組長は、まさにやくざの親分と同じですね。
 特定郵便局長の団体よりは、学会票をのどから手が出るほど欲しい自民党執行部。もうこれまでに、どっぷり毒饅頭を食ってしまったのだから、いまさら「要りません」とは言えなくなった。政策も何もかも、やくざのメンツと親分同士の顔のたてあいに終始。
 日本の政治(永田町)は、こうして果てしなく、泥沼にはまっていく。民主などの他の弱小やくざは、まったく埒外、お呼びでないのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

番犬と飼い主との関係

2005-06-08 23:41:16 | 世間世界
 司馬遷の「史記」の中に、劉邦に謀反を企てた罪で、盟友だった韓信が、処刑される話があります。その話の中で、劉邦は韓信をそそのかした男を捕らえ、尋問する場面があります。その男は、弁論家(遊説家)でした。秦が滅びた後、天下を取ろうとして各地で群雄が立ち上がり、漢王(劉邦)が天下を取ってまだ間もない頃、劉邦の忠実な臣下であった韓信に策を与え、謀反をすすめた男でした。
 尋問の際、この男は、韓信を小僧扱いしながらも、韓信の忠実な家来であったことを番犬に喩えます。犬は、主人にどこまでも忠実である、だから自分は、韓信に策を与え、番犬のように韓信以外の者には吼えまくった(非難し、韓信をそそのかした)のだ、そのどこが悪いか、と劉邦の前で弁明するのです。主人にあくまでも忠犬たらんとする、主人が危うい場面では、体をはって吼えまくる。主人以外の者は、すべて敵とみなし、どこまでも主人を守ろうする、まことに犬らしい姿勢です。実は、イシハラさんと浜渦さんの関係が、今の話とオーバーラップしてくるのです。
 「泣いて馬謖を斬る」というふうに、イシハラさんは浜鍋氏を辞任させる決断を、そう表現しました。これも「三国志」に出ている話で、孔明が作戦を授け、こんこんと諭して軍の指揮を執らせた馬謖が、孔明の指示に従わず、大敗北した事に由来する話です。今回の場合には、ほとんど適さないたとえのようです。
 むしろ、安禄山の乱によって、長安の都から落ち延びた玄宗皇帝が、不満を持つ臣下たちのため最愛の后・楊貴妃を泣く泣く処刑したことのほうが、適当な感じがします。いな、むしろ、二人の関係だけみると、かの韓信とその策士の関係の方が、最も適切な感じがします。主人と番犬の関係ですね。
 辞任させる話し合いの中で、涙を流したというようなことをイシハラさんは話していますが、泣いた事だけが、「泣いて馬謖を斬る」の話と共通するだけだ、と思います。
 ところで、散歩していると、犬を連れた飼い主によく会います。二人連れ添うように散歩するようすは、見ていてもほほえましい感じがします。しかし、時に大きくて厳つい犬が、むしろ主人を引っ張って、ドンドン自分の行きたい方に走って行く場面もたまに見かけます。
 どっちが主人だか、主客転倒した滑稽さすら感じます。
 今回の辞任劇、何だかそっちのほうがぴったりのたとえのような気がしてなりません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反戦青年委員会

2005-06-07 21:51:57 | 平和
 最近、小生のブログに「反戦老年委員会」様からTBがありました。その言い方にとても郷愁というか、ある意味、かつての反戦運動華やかりし頃の、日本の労働組合や学生運動、市民運動を思い出しました。
 小生が若かりしころ、ベトナム反戦運動が日本中からまき起こりました。その中に、「ベトナムに平和を市民連合」(ベ平連)という運動がありました。作家の小田実さんなどが中心となって主催し、毎週のようにデモ行進を呼びかけ、運動をしていました。たぶん「市民」という言葉は、そのとき初めて耳にしたような気がします。アメリカ軍のベトナム戦争に反対する市民運動であったのです。
 その組織や運動に対する評価は、今振り返っても様々あるでしょうが、間違いなく当時の日本の反戦運動の一翼を担っていたと思います。また、小生も刺激されて、何回かデモ行進に参加しました。
 そのころ、主に社会人を中心として「反戦青年委員会」という組織があったように思います。職場でも、その組織・運動に共感して運動していた同僚もいました。そうした運動はその後さまざまな紆余曲折を経て(小生ごときが測りしることのできないことですが)次第に先細っていったように思います。
 次第に当時の熱血的な青年が壮年に変わり、そして新たな若い層を運動に巻き込むこともなく、参加者が次第に年を取っていったようすを身近にしてきました。そんな、今からもう10年以上も前ですが、これからは「反戦青年委員会」をそのうち「反戦老年委員会」に改名するしかないんじゃないの、などと減らず口をたたいていたのも昨日のことのようです。
 しかし、当時の青年たちが、今や本当に老年の域に達しながらも、それでも今の日本の現状にNO!を突きつけ、発言し、行動していることを知りました。小生の知人もまだ頑張っています。
 今回TBされた方が、そういう組織活動をしていらっしゃる方たちの一人かどうかは分かりませんが、こうした方々が「老いてなおますます盛ん」ということに、小生は脱帽する思いです。勿論、小生といえども、別のかたちで日本をどうにかしなければ、という意識と行動は忘れていないつもりですが。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷愁または蛍について

2005-06-06 21:05:09 | つぶやき
 先日、静岡に出かけたとき、50年前の話を聞いた。それは、田んぼでの一仕事を終えて家路をたどるその道すがら、蛍が辺り一面に乱舞している、その様についてであった。
 農作業に疲れた目の前に、無数の蛍が淡い光を放って飛び交う様、その中を歩む姿は、まるで夢幻の境地であったという。今は、蛍一匹いなくなったという。
 静かなせせらぎと田んぼの風情は、その当時とそれほど変わってはいないらしい。しかし、農薬のせいであっという間にいなくなってしまった蛍。「ほ、ほほたる来い、こっちの水はあまいぞ」その通りの静かな田園風景は、見た目はそう変わらなくても、自然の営みの奥底で、大きく変化してしまったのだろう。
 千葉県の利根川から少し山間に入った連れあいの実家。25年ほど前、その爺さん、婆さんに会わせるため、二人の子どもを連れて行ったことがある。その時にも、実家の前の田んぼには、蛍がたくさん舞っていた。二人の子どもは田んぼに下りて、蛍を追いかけてしばし興奮していた。
 今はもちろん、もう全くいなくなってしまった。すっかり大きくなった子どもたちに、その日の体験を聞いても、うっすらと覚えている程度だ。田んぼにいたタニシもすっかりいなくなったらしい。田園風景はほとんど25年前と変わらないが。
 今の子どもたち、いや、結構な大人でも都会に住む人々は、すでに蛍を見る機会などとうになくなってしまった。そうした中で、江戸川区の親水公園では、蛍が棲めるきれいなせせらぎを取り戻そうと蛍の飼育に取り組んでいる。しかし、それは、まさに人工飼育に他ならない。一歩、そこを出れば、都会の臭いと空気に満ちている。
 小生のような年齢になると、郷愁イコール故郷の自然、豊かな自然を思い出す。それを今の子どもたち、次世代の子どもたちに話し聞かせても、ほとんどの子どもがその豊かなイメージをつかむことはできない。これは都会の子どもたちに限ったことだろうか。
 夜空の天の川もしかりだ。見たこともない人が圧倒的。人工衛星が飛行するのも見えると言っても、ほとんど信用されない。
 今の都会の子どもたちが大人になったとき、彼らにとっては「郷愁」という言葉から、いったい何を思い浮かべるだろうか。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郵政民営化法案は出来レース

2005-06-05 18:34:28 | 平和
 今月の19日の会期末までに衆議院を通すことで与党は画策。野党も為すすべもなくこのまま終わり。いったいいつまともに審議したの?いつ中身の是非の審議をするつもり?
 民主党のボイコットの間に、すでに修正どころか造反押さえ込みで自民党執行部。公明党はもちろん、都議選前の決着しか考えていないから、どうせ裏から手を回してせっついたのではないか。 こうなれば、審議途中で強行採決。ほとぼりが冷めるまで適当に時間かせぎ。適当な延長をしてはい、一丁上がり!賛成の人も反対の人も考える隙を与えず、議論もさせず・・・。重要な問題点はそっちのけ。あとは、ポストコイズミの裏乱闘が浮上するだけ。
 マスコミも、自民党内の駆け引きをあれこれ書いているだけで、何にも実のある議論をリードするような記事を掲載しない、書けない!軟弱議員クラブ記者(だからイシハラさんに「ブンヤ」とバカにされるのだ)
 この程度のマスコミと、この程度の議員連中。国民は、民営化されても何も本質は変わらないとたかをくくっているつもり。でも、そうはいかないはず。じわじわと民間企業を圧迫し、地方の郵便局は、統廃合。それでいて保険や年金資金は、相変わらず山分けぶんどり合戦。
 他にも、国会では、議論しなくてはならない議題が、山積している。靖国問題をはじめ、中国や韓国の外交関係。コイズミさんは、何を言われても見解の相違、けんもほろろの対応。憲法問題、健保問題、年金問題・・・。岡田さんもこれまで! ただの無能・お人好しであっただけ。
 7月の都議会選挙では、早くも民主党は分裂選挙。またしても、公明党の完勝。イケダさん万々歳!後継問題も一気に解決、長男で決定! 今、国会が解散しても、民主党はぼろ負けする様相。所詮、烏合の衆。狂信的団体には叶うはずもない。小沢さんを引き込んだのがそもそもの敗因だと思う。
 こうして、じわじわと、実は、アメリカの思うつぼ路線が完成に近づいた。政治にも経済にも教育にも、アメリカ「民主主義」(強者は勝利者・弱者は負け犬、力がすべて)が浸透していく。
 すでに、アメリカは、日本を占領した60年前から、着々と日本のアメリカ化(アメリカの属国化。日本人の身も心も従属させていこうとする戦略)を画策してきた。その意図が最も如実に現れたのが、わが昭和天皇を象徴にして、自分たちの陣営に巻き込む作戦。誠に畏れ多いことだが、見事に術中にはまった大君。
 こうして営々として行ってきた作戦の全容ががいよいよ見えてきた。あとは、軍事一体化路線。これも有事立法と今回の基地再編計画による日米軍事共同体で完成に。・・・。
 日本の右翼も左翼もいったいどうなっているの?反米を訴える右翼はいないの?反米をスローガンにする左翼はいないの?小林よしのり氏のほうがよっぽどまともに思えてきた。感性はすこぶる鋭い男だから。
 ちなみに、小生は根っからの反米主義者。アメリカの「似非」民主主義なぞ糞食らえだ!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月3日(金) 雨のち曇りのち晴れ間

2005-06-04 12:07:07 | つぶやき
何だか梅雨の走りというか
ほんとの梅雨のような雨が
降っていましたよ、ぐちょぐちょちょと
昨日の午後から夜になっても激しく

その日の午後
このマンションの隣にある高校
3日に「体育祭」があるからって準備していました
ぽつぽつ降り出した雨の中で
テントを組み立てたり
入場門とかいうやつを立てていました

明日は雨だっていうのに
何だかお気の毒にというふうに見ていましてね
ムダになっちゃうじゃないのって
でも遅くまでやっていましたね、雨の中でも

そして、今朝ですよ
まあ夜半からの雨は少し止み加減になってきたけど
昨日の夜のあの土砂降りじゃグランドも使えないでしょう
天気予報でも曇り時々雨、夕方から強く降る
なんてことでしたから
こっちもゆっくり寝てるかと思いました

ところがですよ
7時過ぎ隣から賑やかな声が聞こえてきました

まさかと思ったんですが、窓から見下ろすと
何と準備を始めているんですよ
あちこち水浸しになったところに砂場の砂を運んだり
モップで拭き取ったりとあっという間にきれいになりました
まあ人海戦術ってやつですか
びっくりするやらあきれるやらでした

そのうちがんがん音は鳴り始めて
生徒はぞろぞろグランドに出て来るではありませんか
こりゃ参ったって感じでしたね

まだ雨が止んだわけじゃないんですよ
それでもやるって
なんという無謀な学校なんだろうと思いましたよ

生徒も意気揚々と出てくるわ
応援団も揃いの衣装を着て並んででてくるわ
あれよあれよという間に始まりました
普通中止になるはずの体育祭がですよ

元気な歓声とばかでかい音楽で
こちらはおちおち寝てもいられませんでした

まあ、年に一度じゃ諦めるかって
毎年のことですがね
学校の裏の新築マンションを買ったこっちにも落ち度があるって
なにしろこの高校は百年以上の歴史をもつ名門校のようですから
こっちの方が新参者ですからね

ところがもっと驚いたのは
雨が降るどころかだんだん薄日が射してきたではありませんか
我が目を疑いましたね、ほんとうに
午後にはすっかり晴れて昨日の雨が嘘のようでした

体育祭も無事終了したようですね
まさかやるとは思ってもいなかった
生徒や先生もそう思っていた人も
多いのではないでしょうか、保護者もたぶん

朝からの喧噪も止んで
夕方にはすっかり静かになったグランドでした

そしてまた、夜になって少し雨が落ちてきました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家諫暁

2005-06-03 22:34:35 | つぶやき
 コイズミさんの靖国参拝意固地発言に公明党神崎さん諫めるふう。でも、コイズミさんまったく意に介せず。そこで手詰まりの公明党幹部。もうお手上げ?だいたい与党から離脱する考えは毛頭ないのだから。
 いいように自民党に利用されて、選挙もほとんど一方的な応援の投票行動。憲法問題も平和問題も教育問題もなにもかも自民党の補完勢力に堕している。かつては、邪教の連中に貴重な一票どころか選挙運動なんて思いも寄らなかった学会員。それが今や唯々諾々と組織幹部の言いなり、「不満もあると思いますが、今回は自民党候補に投票しましょう。それが正義の闘いです。これが、イケダ先生にお答えすることです。」???。
 最大イベントである都議会選挙を直前にしてさてどうするかっていう考えもなく、ただただ自分たちの選挙が完勝すればいい。そうすれば、創価学会員の意気も大いにあがり、イケダ先生の後継者問題も一気呵成に進められる。長男が継ぐかどうかは知らないが。
 まてよ!と言う人間は創価学会の内部にはいないのだろうか。学会員は、聖教新聞など学会系の出版物しか読まない人が多いらしい。だから、世間がどのようにコイズミ発言に端を発する靖国問題をどうとらえているか、中国をはじめ韓国や近隣の外国からどのように批判されているかなどほとんど知らないか、耳をふさいでいるのだろうか。
 勿論、TVやその他の情報などで、それなりに理解している人もいるだろう。何か変だな、コイズミさん。何かおかしいぞ、公明党の姿勢は。どうなっていくの、今度の選挙。しかし、たとえ不満を持っていても、投票すること、公明党議員当選のために働くこと、ここに利益があるのだ、反対に投票しなければ罰が当たると、徹底して信心の名の下に教えられ、政党支持の自由など全くない学会員。
 何で公明党はこれほどまでに政権与党にしがみついているのだろうか。公明党の支持者・学会員の要求である住宅問題、介護問題、福祉問題、子どもの養育費補助などうまみのある政策を自民党に訴えて実現できるから?
 でも、今回の靖国問題は信仰の究極にかかわる問題ではないのか。「仏祖日蓮大聖人直結の信仰団体」と豪語する創価学会の存立の根幹にかかわる問題ではないか。政治の世界は妥協だ、などというごまかしではおさまる問題ではないと思われる。
 かつて「立正安国論」をもって国家諫暁した、その例にならって、「政権離脱宣言」を含めて厳しく内閣総理大臣コイズミさんに迫るべきではないか。そうした声が学会組織の内部から起きてくる必要があると思うのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイドショーの餌食または花田兄弟について

2005-06-02 23:32:24 | つぶやき
苦労して一世を風靡した親が亡くなって
元妻も最期を看取った女性も
子どもたち二人もそれぞれの妻たちも
みんな含めてワイドショー

元妻も橋幸夫もみな兄弟の不仲を気遣って
昔のように仲良く仲良く仲良く・・・

出来すぎた弟を持つ兄の悲劇
いつも弟の後塵を拝した兄の悲劇

冷ややかに相撲道一筋の弟
現役時代のライバルが今も

世間でも馬が合わない兄弟姉妹は
ざらにいる
同じ父母の子どもでも
不思議と性格も行動もばらばら
顔を合わせても
口も聞かずしらんふり

それに応援団が妻に子どもにタニマチと
入り乱れての場外乱闘

知人でもいましたっけ
兄と弟の確執

こちらは出来た兄と不出来な弟と
でも人柄は、断然、弟が上なんてものじゃなかった
エリート臭ぷんぷんの兄に比べて

結局父も母も面倒を見続け
奥さん子どもの協力でやっと送り出した弟
葬式をとりしきるのもある意味、当然

それが気にくわない兄
天下の大会社幹部の名が廃る
香典も別、挨拶も別

何だかしらっとした葬式に
どちらの参列者も身の置き所がなかった

たった二人の兄弟、どちらも立派な社会人
どちらも人が羨む立身出世
常識もある社会人
それでも骨肉の争いは避けられなかった

さて、いつまで続く確執か
施主は譲った弟も
協会葬では譲るはずもない
今や協会外の兄さんは
お呼びもかからない?

こうしてこじれにこじれて
ワイドショー賑やかに

若くしてなくなった父親も
心残りだろう
もしかしたら自らまいた種だった
かも知れないが

死者にむち打たないのが日本人の美徳
まだまだ話題が尽きないでしょうね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまたお騒がせイシハラさん

2005-06-01 23:38:39 | 世間世界
 この間からイシハラさんは、北京オリンピックボイコットを叫んでいます。中国での反日デモを契機に、自分が面白くない北京オリンピック不参加を呼びかけているのです。なんでシナくんだりまで、我が日本人が行かなきゃならないんだってな具合ですか。
 そして、ついに外国のメディアを借りて、世界に訴えました。よほど反日行動がお気に召さなかったのでしょうね。今度は、サッカー試合での中国人観客の態度を取り上げて、ボイコットを叫びました。沖の鳥島での発言といい、中国を挑発する言辞を連発し、中国に戦争を挑むような勢いです。またこうしたイシハラ節に賛成する御仁もいるとか。
 「日本大国主義」の権化みたいな存在ですね、今のイシハラさんは。反共の砦、反共宣伝・情報発信地としての東京都。いつからこうなってしまったのでしょうか。
 スポーツを政治に利用するな、などというお笑いのような空理・空論は言いますまい。これまでも、アメリカ主導のモスクワオリンピック・ボイコットに悩んだあげく(?)あっさりのっかった日本ですから。
 今回は、日本主導でボイコット戦術。一介の知事が言うべき事かどうか、などいう権威主義を振りかざすつもりはありません。ただそれでいいのか、言いたいことを言っていて外交音痴も甚だしいのではないでしょうか。
 イシハラさん、側近の告発問題やら大量の幹部辞任騒動でお尻に火が点いているはずなのに、沖の鳥島での発言と言い、今回のヒステリックな叫び方といい、もういよいよ年貢のおさめどきがきているのではないでしょうか。
 飛ぶ鳥を落とす勢いだったイシハラさんも、満つれば欠ける、驕れる者は、いつかは滅びるという状態になったのでしょうか。今回の発言も「初夏の夜の夢」の如きあだ花だったとならないで下さいね。
 でもイシハラさん、自分の言動にはまったく責任を持たないままに、言いたい放題。人をバカにしきった言動の持ち主ですから、うまくいかなかったとしても、何の反省もしないでしょうね。
 こういう御仁が、トップにいる東京都民の悲・喜劇を思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする