パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

二度と聴きたくない?演奏

2006年05月08日 22時07分48秒 | Weblog
音楽(CD・レコード)を聴く側のコンディションがよかったり、
その曲を聴くタイミングが良かったり、気分が乗っていたりすると
音楽が心や精神にダイレクトに迫ってきて
一生忘れられない程印象的なものになることがある。

しかし不思議なことに、そのように味わい尽くした演奏(CD・レコード)は
何故かもう一度聴こうという気にはなれないでいる。

いや、聴きたいのだけれど、畏れてしまって聴けないでいる、
と言った方が正しいかもしれない。

つまり、覚えてしまっている、その大事な印象を
改めて聴くことによって台無しにしてしまわないかと
不安になるのだ。

あの有名な、バイロイト祝祭管弦楽団、フルトヴェングラー指揮の第九。
調子の出てきた第2楽章では、楽器が出たり入ったりの立体的になり
深く流れる第3楽章は、トランペットのファンファーレの後の寂寥感。
そして、あの第4楽章、いつまでも続くように思える
コーラスのフェルマータと、その後の弱音から始まるマーチ風の音楽。
最後はアンサンブルが合っていようがいまいが
関係ないように思えてしまう熱狂。

これらは、あまりにも強烈な思い出として残ってしまっているので
もう2度と味わうことはできないと思ってしまうのだ。

同じようなことは、実演で聴いたギュンター・ヴァント指揮 
ブルックナー第8交響曲でもそうだ。
なにかとてつもなく巨大なものを感じて、圧倒されてしまったが
やはり、彼の演奏で同じ曲を聴くのは怖い。
はずれだったらどうしようか?と。

最近ではラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2006で聴いた
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364もそうだ。

昨年購入のムターのと
ウェストミンスターのバリリのを聴いたのだけれど
ん?と思ってしまった。(予想通り?)

物事は比較することによって理解が深まり、
楽しみも大きくなるかもしれないが
2度と聴きたくなくなるような聴き方ができたなら
それはそれで幸せかもしれない、
むしろ、そんな聴き方がもっとしたいな、と思うのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする