パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

仮説、中田英寿の原点。

2006年05月27日 21時04分17秒 | Weblog
走る姿だけでも美しいと思った彼らは
どこからでもシュートを撃った(ように記憶している)
FWでなくてもDFでもチャンスがあれば
誰彼となくポジションを崩しても
どんどん攻撃してきた(ように頭の中に残っている)

そのチームはナイジェリアU19(17?)。
キックインがスローインの代わりに、
試験用として用いられた約10年くらい前の
日本でのU19(17?)大会で、
若き中田英寿が存在感を初めて発揮した大会だった。

中田もよかったが、この大会のナイジェリアはもの凄かった。
カヌーをはじめ皆が身体能力は
考えられないくらいずば抜けており
それこそ反則(フェアじゃない)と言いたいくらいだった。

そして、今見ればそうではないかもしれないが
フォーメーションはあって無きがごとしの
変幻自在のポジションチェンジが頻繁に
行われたような印象だけが残っている。

そんなチームと実際に直接戦った中田は
影響を受けないはずがない、と思ってしまう
彼の、自由に動きたい気持ちは
この時に深く刻まれたのではないか

勿論、頭のいい彼のことだから
現実的な対応策や、自分にできる真似できるところは
うまく取り入れたに違いない

しかし、あのチームをみた時は
いつかブラジルもやっつけてしまうのではと予感したが、
実際にオリンピックでそうなってしまった。

だが、それも長く続かない。
結局、単発の花火で終わってしまったが
記憶の中での彼らは、記憶の中でしかない故に
どんどんイメージが膨らんで
自分の中では、とんでもないチームになってしまっている。

中田は、あんなチームの一員としてプレーしたいのではないか?
役割分担のはっきりしたものより
結果としてチームとしてまとまっていたように思えた
あのナイジェリアのチームが理想
と思ったのではないか?
(それにしては中田は勝負師的すぎる?)

いや、実は、中田より自分があんなチームがいいな、と
思っているのかもしれない(多分そうだろう)

一人一人が勝手に判断し、それが効率的に機能しており
美しく、かつ楽しい見るものの心震わすサッカー。

それは相手のよさを潰すより、お互いの持ち味を
思い切り出し合うことの許される
若い世代だからできたことなのだろうか?

負けることを恐れるより、勝ちにいくサッカー。
お気楽に見えても、自分は絶対こっちの方が好きだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする