来た人にもらいあくびや春の雨
うくいすやはたきの音もつひやめる
朝茶呑みてそちこちすれば霞けり
この普通の感覚の俳句を創った男は
1969年 5月11日(旧暦) <新暦では6月20日>戦死した。
男は土方歳三、新選組の副長だった男だ。
どうしても、気になって仕方ないことがある。
何故、彼は負け戦とわかっていて、戦い続けたのだろう?
一般に言われるような、「最後の武士」という言葉で表されるような
美学に準じた行動であったとは、自分には賛成しかねる。
上記のような俳句を創る人間のメンタリティーは
思い込みが激しく一本道を突き進むタイプではない
と思えてならない。
むしろ彼は、表には出さないとしても、実は普通の小心者で
あれこれ悩むタイプだったのではないか?
無鉄砲さよりも、合理的で勝つ確率の高い戦い方を
好んだのは理解できる。
実質的に新選組を運営しながらも
近藤 勇の下についていったのは、
自分が近藤には絶対勝てないところがあるのを
自覚していたからではないか。
つまり、池田屋の時のような行為は
(人数が少なくても近藤は乗り込んでしまったが)
土方にはできなかったのではないか。
そんな、確率の悪い行動は採れない、と言い訳をしながらも
近藤の度胸には、かなわないなあ
と思ったのではないか?
それにしても、頭のいい彼のことだ。
函館の戦いは、兵力からして敗戦は目に見えていたに違いない。
局地戦での勝利ということで一時的な気休めはあったにせよ
最終的に落ち着くところは想像できていたに違いない。
もちろん、それまでに彼がしてきたことからすれば
戦うしか方法はなかったかもしれない。
それでも、どうしても思ってしまう。
何故、逃げ出そうとしなかったのだろうと。
いや、彼の戦いは、逃げ出したいと思ってしまう
自分との戦いだったかもしれない
なぜか、そんな気がしてならない。
思えば、土方歳三について、多くの小説や解説があり
それぞれが違っているのは、
実は彼のことを書いているのではなく、
彼を題材に書いている本人が
自らを語っているからのように思える。
とすれば、自分の土方歳三像は結構軟弱なので
自分は実はエラク軟弱なのだということになる。
もっとも、これは自覚しているのだけれど。
自分の好きな土方歳三の小説は「燃えよ剣」ではなく
「歳三往きてまた」(秋山 香乃)
うくいすやはたきの音もつひやめる
朝茶呑みてそちこちすれば霞けり
この普通の感覚の俳句を創った男は
1969年 5月11日(旧暦) <新暦では6月20日>戦死した。
男は土方歳三、新選組の副長だった男だ。
どうしても、気になって仕方ないことがある。
何故、彼は負け戦とわかっていて、戦い続けたのだろう?
一般に言われるような、「最後の武士」という言葉で表されるような
美学に準じた行動であったとは、自分には賛成しかねる。
上記のような俳句を創る人間のメンタリティーは
思い込みが激しく一本道を突き進むタイプではない
と思えてならない。
むしろ彼は、表には出さないとしても、実は普通の小心者で
あれこれ悩むタイプだったのではないか?
無鉄砲さよりも、合理的で勝つ確率の高い戦い方を
好んだのは理解できる。
実質的に新選組を運営しながらも
近藤 勇の下についていったのは、
自分が近藤には絶対勝てないところがあるのを
自覚していたからではないか。
つまり、池田屋の時のような行為は
(人数が少なくても近藤は乗り込んでしまったが)
土方にはできなかったのではないか。
そんな、確率の悪い行動は採れない、と言い訳をしながらも
近藤の度胸には、かなわないなあ
と思ったのではないか?
それにしても、頭のいい彼のことだ。
函館の戦いは、兵力からして敗戦は目に見えていたに違いない。
局地戦での勝利ということで一時的な気休めはあったにせよ
最終的に落ち着くところは想像できていたに違いない。
もちろん、それまでに彼がしてきたことからすれば
戦うしか方法はなかったかもしれない。
それでも、どうしても思ってしまう。
何故、逃げ出そうとしなかったのだろうと。
いや、彼の戦いは、逃げ出したいと思ってしまう
自分との戦いだったかもしれない
なぜか、そんな気がしてならない。
思えば、土方歳三について、多くの小説や解説があり
それぞれが違っているのは、
実は彼のことを書いているのではなく、
彼を題材に書いている本人が
自らを語っているからのように思える。
とすれば、自分の土方歳三像は結構軟弱なので
自分は実はエラク軟弱なのだということになる。
もっとも、これは自覚しているのだけれど。
自分の好きな土方歳三の小説は「燃えよ剣」ではなく
「歳三往きてまた」(秋山 香乃)