パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

またまた、少年サッカーの話。

2006年05月22日 21時50分33秒 | Weblog
どうも自分が気になって仕方がないのは
いわゆる上手な子ではなく、
むしろ鈍くても、いつも練習に来ている子の方だ。

上手な子は放っておいても、それなりに楽しむことができる
しかし、引っ込み思案だったり、
何かの加減で、自信を持てないでいる子には
なんとかして、サッカーの楽しさを感じてほしかったり
自分に自信を持ってもらいたいと思ってしまう。

小学生でも高学年になると、試合に勝つことが要求されてきて
必然的に運動神経のよい子が選抜され
練習には来ていても試合には出してもらえない子が出てしまう。

数年前、交流戦が行われた一日に、一度も使われない子がいた。
その日の最終戦、負けの状況で、時間がなくなっていく中
彼はベンチの中で「出たい、出たい」と
小さな声で囁いた。
しかしその声は、その試合の監督である人物には聞こえなかった。
彼の眼にはうっすら涙が滲んでいて、それを見たとき
思わずこちらも伝染してしまいそうになってしまった。

「もっと大きな声で、
監督に聞こえるような声で、出たいと言ってみなさい。
言ってみてダメだったら仕方ないけど
グズグズ言ってたって何にもならないぞ。
大事なのは自分がどうしたいかということだ。
もしそれができたら、結果がどうであれ、自分は君を
エラいと思う」
確か、そんなことを言った記憶がある。

しかし、彼は残念ながらできなかった。
そして、泣いていた。

「いいか、この悔しさは忘れちゃいけない。
選手に選ばれなかったことじゃなく、
自分のしたいことを、伝えることができなかったことを
悔しいと思いなさい。
僕が監督の時は、うまい子じゃなく
やる気のある子を選ぶようにするから」

本当は違っているのかもしれない、
(他の勝ちたいと思って試合に臨んでいる子供たちに対しては)
でも、自分は小学生のレベルでは、まして週一回しか練習の
できないサッカークラブではそれでいいのでは、と思ってしまう。


我々の少年サッカークラブには数人のボランティアの
コーチがいて、その人数だけの考え方が存在する。
だから、自分は常々、一見ひ弱そうな子供たちを
なんとか、たくましくなれるようにするのが
自分の役割だと思うことにしている。

子供たちの嬉しそうな顔、幸せそうな顔、
大声で笑う姿。
それらはどれだけ我々を幸せにしてくれることだろう。

ボランティアしてもらっているのは我々の方かも?
コメント
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