民主党の新しい代表に鳩山さんが選ばれた
その人となりを説明する文章に「宇宙人」の言葉があった
なんでも「愛」とか「友愛」等と
およそ政治世界に住む人らしからぬ言葉を使うから
彼を「宇宙人」と呼ぶことにしたらしい
だがこのことは、2つの意味で悲しい現実を現している
一つは政治の世界は「愛」とか「友愛」という言葉が
リアリティーのないこと、そしてそれが当たり前になっていること
こんな時代に「愛」とか「友愛」を口にするのは変わっていて
変人の部類に属するとみんなが思ってしまっていること
本当は、変なのは素直に「愛」とか「友愛」の言葉を受け入れられない
社会の方かも知れないのに
そしてもう一つ鳩山さんが敢えて(?)あげている
「愛」とか「友愛」は
逆説的にはそれらが不足しているから
口にされているということ
そんな言葉を使わずにいられる世の中が
本当はよい世の中
それは、ちょうど中国の堯が、皇帝の存在の意味を
人々に感じさせない様子が上手く統治できている印と安心した
という逸話と同じで、
「愛」とか「友愛」は意識されない世の中が
一番望ましい姿なのだが
現実は、、、、
だからこそ、そのように言い続けなければならない
のかも知れない
参考(堯の逸話)
堯が帝位について数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに却って、天下は本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているのか不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子どもたちが、堯を賛美する歌を歌っていた。堯は大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふとかたわらに目をやると、老百姓がおなかを叩いてリズムを取りながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
日出でて作き、
日入りて息う。
井を鑿りて飲み、
田を耕して食う。
帝力我に何かあらんや
日が出りゃ働き、
日が沈めば休む。
井戸を掘って飲み、
田を耕して食べる。
帝の力がなんであろう。居ても居なくてもおなじことさ。
この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる。
その人となりを説明する文章に「宇宙人」の言葉があった
なんでも「愛」とか「友愛」等と
およそ政治世界に住む人らしからぬ言葉を使うから
彼を「宇宙人」と呼ぶことにしたらしい
だがこのことは、2つの意味で悲しい現実を現している
一つは政治の世界は「愛」とか「友愛」という言葉が
リアリティーのないこと、そしてそれが当たり前になっていること
こんな時代に「愛」とか「友愛」を口にするのは変わっていて
変人の部類に属するとみんなが思ってしまっていること
本当は、変なのは素直に「愛」とか「友愛」の言葉を受け入れられない
社会の方かも知れないのに
そしてもう一つ鳩山さんが敢えて(?)あげている
「愛」とか「友愛」は
逆説的にはそれらが不足しているから
口にされているということ
そんな言葉を使わずにいられる世の中が
本当はよい世の中
それは、ちょうど中国の堯が、皇帝の存在の意味を
人々に感じさせない様子が上手く統治できている印と安心した
という逸話と同じで、
「愛」とか「友愛」は意識されない世の中が
一番望ましい姿なのだが
現実は、、、、
だからこそ、そのように言い続けなければならない
のかも知れない
参考(堯の逸話)
堯が帝位について数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに却って、天下は本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているのか不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子どもたちが、堯を賛美する歌を歌っていた。堯は大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふとかたわらに目をやると、老百姓がおなかを叩いてリズムを取りながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
日出でて作き、
日入りて息う。
井を鑿りて飲み、
田を耕して食う。
帝力我に何かあらんや
日が出りゃ働き、
日が沈めば休む。
井戸を掘って飲み、
田を耕して食べる。
帝の力がなんであろう。居ても居なくてもおなじことさ。
この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる。