パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

宇宙人と言うけれど

2009年05月17日 13時01分16秒 | Weblog
民主党の新しい代表に鳩山さんが選ばれた
その人となりを説明する文章に「宇宙人」の言葉があった
なんでも「愛」とか「友愛」等と
およそ政治世界に住む人らしからぬ言葉を使うから
彼を「宇宙人」と呼ぶことにしたらしい

だがこのことは、2つの意味で悲しい現実を現している

一つは政治の世界は「愛」とか「友愛」という言葉が
リアリティーのないこと、そしてそれが当たり前になっていること
こんな時代に「愛」とか「友愛」を口にするのは変わっていて
変人の部類に属するとみんなが思ってしまっていること
本当は、変なのは素直に「愛」とか「友愛」の言葉を受け入れられない
社会の方かも知れないのに

そしてもう一つ鳩山さんが敢えて(?)あげている
「愛」とか「友愛」は
逆説的にはそれらが不足しているから
口にされているということ

そんな言葉を使わずにいられる世の中が
本当はよい世の中

それは、ちょうど中国の堯が、皇帝の存在の意味を
人々に感じさせない様子が上手く統治できている印と安心した
という逸話と同じで、
「愛」とか「友愛」は意識されない世の中が
一番望ましい姿なのだが
現実は、、、、
だからこそ、そのように言い続けなければならない
のかも知れない


参考(堯の逸話)

堯が帝位について数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに却って、天下は本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているのか不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子どもたちが、堯を賛美する歌を歌っていた。堯は大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふとかたわらに目をやると、老百姓がおなかを叩いてリズムを取りながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。

日出でて作き、
日入りて息う。
井を鑿りて飲み、
田を耕して食う。
帝力我に何かあらんや

日が出りゃ働き、
日が沈めば休む。
井戸を掘って飲み、
田を耕して食べる。
帝の力がなんであろう。居ても居なくてもおなじことさ。

この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる。
コメント
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