「悪いのは銃じゃない、銃を扱う人間の問題だ」
このように銃規制に反対する人は声を荒げる
確かに銃を使うのは人間で、銃自体には罪はないかもしれない
しかし、残念ながらそこに人間が
変わってしまう可能性があることへの想像力が
欠如していないか
変なことをするのは妙な人間で決して自分らじゃない!
そんな根拠のない自信を持っていないか?
人間はいついわゆる犯罪者になってしまうか
わからない可能性を持っているだけでなく
銃を持っていればいつか使いたくなってしまう
新しい刀を持てば試し切りをしたくなってしまった
江戸時代のサムライは居なかったか?
銃を持てば自衛のためだと言いながら
使いたくはならないか?
話は飛躍して原子爆弾についてもそれは言えないか?
自分は人間にそれ程、絶対的な信頼は置いていない
人間はいつかどうしようもない間違いを起こす危険性を持っている
それが自分の基本となるところ
だから核抑止力のための核保有は問題外だ
いつか使いたくなってしまう
そんな危険なものは端から持つべきではない
それはある種の勇気ではないのか
持つことができるけれど、持たないという決断をする
じつはそれこそが人間の知恵ではないかという気がする
同じ流れで原発についても
この途方も無い化物は確かに人間の可能性・素晴らしさを
示す良い例だけれど
これも残念なことにいつ想定外の事が起きるかわからない
いや、おそらく間違いなく想定外のことは起きる(いつか)
ならばこの技術もタブーとしてしまうのも
一つの知恵ではないのか
人類には技術革新で明るい未来が待っている
それはあまりにも単純な楽観主義過ぎないか!
仮に技術による明るい未来を掲げるとするならば
その前に個々の人間性を深める(高める)十分な時間(教育)が
必要不可欠に違いない
なんとなく、世界が変な方向に曲がりつつあるような不安に襲われるので
チョットばかりぼやいてみた
これが杞憂であれば良いのだが