サッカーの一試合は90分
そのうちボールにタッチしている時間は一人当たり数分
あとはほとんど歩いているか走っている
だからその長い時間を有効活用すれば
無駄が無く、有利に働くはず
そのように考えるのが理論的とか理屈に合っていると
考えやすいし、事実そうあるべきだと日本は何の疑いも無く
戦術論に時間を費やしてきた様に思う
しかし、そこには大いなる前提がある
それはたった数10回のプレーチャンスに正確な
最善のプレーができなかったら
何にもならないという事
どんなに有効的な動きをしても
出てくるパスがタイミングが悪かったりコースが悪かったり
シュートがまずかったりすれば意味をなさない
さてここで問題はどちらに練習の時間をさくかと言う点
つまり、大半の時間であるボールがない時の動きか
それとも保持したボールに関する正しい判断をするための訓練か
それは試合を迎える状況、年代で変わってくるに違いないけれど
総じて言えそうな事は、先にもあげた様に日本人が言いたそうな事は
前者を優先とした考え方
野球では3ボール0ストライクの場合
1球見送るのがセオリー等という言葉がまかり通っている
それは確率的に塁を一歩進めるには4ボールの可能性が
あるかもしれないので無理に打にいく必要は無いというもので
へたに打ちにいって結果が悪ければ
散々な批判を浴びる
またバント攻撃を失敗した時も
セオリーを云々と言う言葉も出てきそう
しかし、考えてみれば守備側はピッチャーも含めて
バントを含む攻撃を失敗させようとしている
その結果の上での失敗であるから
単純に攻撃側と守備側の闘いであって
そこには理論も理屈も無いはず
ここで言いたい事はテレビ等で解説者が
セオリーとか言われるものは
実はあまり当てにならないのではないか!
という事
どうも日本の考え方は対戦する相手の存在を考えていない事が多い
自分のベストなプレーをすれば結果は自ずとついて来る、みたいな
宮本武蔵、塚原卜伝、それから昔あった柔道のテレビ番組も全て
その調子で、何か絶対的な先生とか信条があって
それとの闘いが自分との闘いみたいに扱われている
勿論結果としての自分との闘いは分からないでも無い
しかし、目の前にあるのは
自分に対して優位なポジションを取ろうとする
そしてそのために必死の努力を続けてきた
尊敬すべき対戦相手
ならばまずは相手にすべきは目前の対戦相手で
勝つべき自分とは、練習をサボりたくなる弱い自分とか
妥協しがちな自分とか、そう言った分野に限られるのではないか
最近特に思うのはバルセロナのサッカーは
パス主体の的確な距離感を持って、
パスコースが幾つもあるポジショニングが素晴らしく
日本も手本にすべきとあるが
自分が思うに、でもそれだけでは欠けているものがある
それは相手の裏を取るというか、逆を取るというか
またかわすと言うか
つまり相手に応じて最適のプレーをする技術と感覚
ここがポジション取り、距離感だけでは追いつかない
話は最初に戻って、プロという人たちは
たった数回のプレーチャンスに
どんな時にも正確なプレーができる様に
つまり職人の様に働くべきじゃないのか
最近、日本代表でもJリーグでもまた高校選手権でも
センタリング(クロス)の精度が悪くても問題視されないで
戦術論ばかりが語られるので、
ちょっと一言チャチャを入れたくなった次第!