少し前の話
ドイツに移籍した岡崎のある試合の批評に
「献身的に動いているが効率が悪い」
そしてその試合の評価は芳しいものではなかった
昨晩のオリンピック最終予選
得点力不足と言うか、決定力のなさは
まさに効率が悪い
これがイタリア、ドイツだったら
きっちりワンチャンスで得点と言ったシーンが見られただろうに
この効率の悪さは必ずしも献身的に動いたために
肝心な最後の時点でガソリン切れ!
とは言わないまでも多少の関連があるかもしれない
このように傾向はもしかしたら
日本人の見る側、応援する側の責任があるのかもしれない
つまり日本は結果よりも働いている姿を
過度に評価する傾向がある
多少出来が悪くても、一生懸命何かしている人物を
結果も出して出来るが性格が扱い人間よりは
暖かく迎える傾向があるということ
これはサッカーに限らず社会で見られる傾向
(しかし実際には、できる人間と思われる人物も
半端じゃない工夫・努力ををしている、
ただそれがわかりにくいだけのような気がするが)
これは農耕民族である日本人が、
地域の人達と協力して稲刈りに
取り組むなど団体行動を主に行動してきたDNAが
作用しているかもしれない
つまりみんな一緒が良いこと!
と刷り込まれているのかもしれない
ところで、できる人間、特別な才能を持った人間は
一般的に変わった人物と評されることが多い
そう思ってしまうことは
実はある意味、多様性を認めていない現れかもしれない
ただそうは言っても自分も
いくら才能が突出していたとしても
自軍が攻められているとき、
困難なとき自分の仕事とは違うと言って
平気でいられる人物には
抵抗感を感じてしまうのは事実
ならばできることなら、なるべくそういう人間に
過度の要求をする状況を作らないこと
スペシャリストはスペシャリストの立場を、才能を
しっかり発揮する状況をこそ
作り出すようにしなければいけない
チームワークという考え方としては
誰かの不足を皆で補うのではなくて
個々の能力をフルに出すことこそが
大事であって、その効率的な方法こそが
チームプレーと解釈すべきなのではないのか
さて今日一番いいたかった事は何か?
一体何だったんでしょうね?