パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

電報は必要か?

2015年02月02日 20時12分58秒 | あれこれ考えること

今年は早くも2つのお葬式に参列した
寒いこの時期は毎日のように
新城市の防災無線で式の放送がある

正月休みが明けた直ぐと
それから1週間ほど後
200メートルと離れていない家の方が
お亡くなりなった

最初は仏式、次は神式
ふたりともよく知っている人なので
家族の方の表情を観るのが辛い
時間だけが悲しみを癒してくれる
その人がいない日常に慣れること
それしか手はないのだろう

ところで、お葬式には電報の紹介がある
最初も次の時も、この地区の衆議院議員と県会議員からのものが
読まれた
一体どういう関係だったのか
と思ったりしたが、そこで気になったのは、
この人達は一体こうした電報でどのくらいのお金を
使っているのだろうかということ

新城市でこのペースなら豊川、蒲郡をエリアとする衆議院議員は
確率的に電報を出す回数もバカにならない
いや、金額的にバカにならないということは無いかもしれない
だからこそ、こまめに出しているのかもしれない

しかし、電報は故人の箔をつけるためか?
著名人からきたということで
その人のグレードもあがったような錯覚を参列者に感じさせる
効果があり、故人を送る良い花向けになるかもしれないが
喪主を始めとする身内の人は別として
当の本人はあまり知らない人から
式が名前を売り込む機会として使われたと思えないこともなく
少し考えてしまう

抜かりなく電報を打つということは
議員さんにとっては、本当に不可欠なことなんだろうか
少し考えてしまう
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする