パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

人間は何をしでかしてしまうのか?

2015年02月03日 20時13分28秒 | あれこれ考えること

「リアリティとは、『ナチは私たち自身のように人間である』ということだ。
つまり悪夢は、人間が何をなすことができるかということを、
彼らが疑いなく証明したということである。言いかえれば、
悪の問題はヨーロッパの戦後の知的生活の根本問題となるだろう…」

ハンナ・アーレントの言葉

つまりナチスが特別だったわけではなく、普通の人でも
そんな恐ろしいことを起こしてしまう可能性があるということ 

しっかり読んでわけでもないがナチスのアイヒマンについての
人物評もある意味怖い
アイヒマンはモンスターのような人物ではなく、ありきたりの
平凡な小市民であった、、、

読んだわけでないから、これは正確ではないかもしれなないが
人間はおかれた状況でとんでもない存在になってしまいうる

この事の真の怖さを、この国の首相は理解しているのだろうか?

罰を与える、許しません  イスラム国に向けた
感情に任せた発言としか聞こえない、幼稚な思考を想像させる姿
一見、その場その場の対応では無理からぬ事柄のように見えても
少し距離をおいてみると、彼が何処に向かっているかは分かる

イスラム国が日本を有志連合の一国と理解した
それが正しい理解の仕方であったかどうかは問題ではなく
そのように理解されてしなったのが問題だ
そしてその理解は、話が通じないイスラム国だけでなく
数多くの国にも同じような理解のされ方をしているのではないか 

状況があるところまで進んでしまうと
人は正しい判断ができなくなってしまう
流れに流されて、恐怖に脅かされて、、、
しかし今なら、まだ反論やストップはかけられる
(イスラム国に対する考え方ではなくて、彼の考える方向全般について) 

歴史から学ぶということは、ハンナ・アーレントが示した
人間が何をしでかすかわからない存在
とならないための方法を考え実行すること
一番のモンスターは、実は人間であるということを
深く理解しなければならない 

 

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富める者が富めば、貧しい者も富むようになるか?

2015年02月03日 19時34分41秒 | あれこれ考えること

昨年の選挙でも何の疑問もなく使われた論法
「経済が(会社が)富めば、自然と末端の生活者まで
 富は行き渡っていく。だからまずは経済第一なんです」

一見、何の問題点もなく、さらっと流れて聞き流してしまいうそう 
しかし、果たしとこれは本当か?
会社を富める者と置き換えると、それは少し怪しくなってくる

いわゆる、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」
とする経済理論だが、これは最近読んでいるピケティでも否定されているし
実感としても 同感できないところが多い

つまり反論としては、
「投資の活性化により、経済全体のパイが拡大すれば、低所得層に対する配分も改善する」
となるはずであるしかし、現実にはパイの拡大が見られても、それは配分の改善を伴わず、
国民全体の利益としては実現されない。つまりは「富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、
国民全体の利益となる」はずであったものが、一部の富裕層の所得の上積みを以って
「経済は回復した」ということにすりかえられているに過ぎない、というものである。

これは共産党や野党が発言した内容
しかしどういうわけかあまり相手にされなかった
シンプルな富むものから貧しい者にという説明のほうが
単にわかりやすかっただけと思うのだが

そしてピケティはトリクルダウンが実現されていない実態
をデータを使って説明している
それは、論ではなく事実
だから彼を否定する場合 、論理ではなくデータがおかしいとか
解釈がおかしいと言わなければならない

だが普通に考えてお金持ちが自分がよりお金持ちになった時
人はそんなに簡単に人に分け与えることができるか?
と心理的な動きを考えると、トリクルダウンは
やはり実現できない可能性のほうが高い 

会社に富がもたらせれた時、経営者は何を考えるか?
設備投資ならまだいい方、しかし、将来に供えての内部留保を考える
人も少なくないかもしれない
また、その資金を使って、お金がお金を生むお金の使い方に
投資する可能性もある
つまり心理的にも、簡単なトリクルダウンの方向は可能性が低い

ある時、何かで読んだケインズの考えも
富んだものは節約家になるから
公共投資をして経済を活性化させなければならない
とか、そんなようなことを言ってたような、、、 

ピケティは単なる経済学者が数字馬鹿ではダメで
心理学、歴史も踏まえた社会学となるべきとしている
この部分は大いに賛成

しかし、残念なことに日本は
いつまでたってもシンプルきまわりない 
上が富めば下まで、、、
の実現性のない理屈がまかり通っている

そもそもの前提となる経済の考え方に
日本国民は、政治家は、経済学者は
一度じっくりと考えなおしたほうがいいかもしれない 

 
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