パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

反省の仕方(日本人の?)

2015年02月26日 18時43分06秒 | あれこれ考えること

すっと不満に思っていることがある
2006年 ジーコ監督の時のサッカーのワールドカップドイツ大会において
日本代表は芳しい成績を収めることができなかったばかりでなく
その戦い方は何か不可思議な要素があったに違いないと思わせる
モノがあったにも関わらず、総括としての反省は何もなかった

昨年のワールドカップの不振もどんな総括がなされたか

そして今回のアギーレ監督の八百長疑惑による解任騒ぎ
その責任と反省の仕方がまたもや一般社会では通じないような
反省の仕方

サッカー界ではではもう少し反省すべきことはある
ACLでの早い時期での敗退
若年層の世界大会への切符を得られない現実
フィジカルの強い相手に対する戦い方の知恵の欠如
育成世代の教育方針への再検討
ボール奪取能力の欠如
こうした現実を踏まえて、
日本全体として考えていかなくてはいけないし
これに答えて何か具体的なことを実行してこそ
反省をしたということになりそう

ところで話は急に飛んで、
他所の国が日本の歴史認識とか
戦争の反省が足りないと、いつまでも言い続けるニュースを
目にしたり耳にすることもあるが、
フト思ったのが、このサッカーの例と同じように
他の国は思っているのではないかということ

国益重視の外交上の言葉だから全部が全部そうではないだろうが
実感として彼らは日本って、本当に反省しているのか?
と思ったりしたのではないか
ちょうど、サッカー協会は本当に反省したのか
と思うのと同じように

こうなると、個々の問題ではなく日本人の反省の仕方の問題に
なるのかもしれない
スポーツ番組でもニュースでも期待していた選手、チームが負けたりすると
負けたという事実はものすごく短く切り上げて、すぐさま次はどうする
次は何に期待しましょうと言う状態になる

過去は変えられない、前向きに、未来を向いて、、、
しかしこの過去とか結果を深く顧みない、見たくないという日本の姿勢は
(どの国でもあるだろうが、この国は極端過ぎるにでは)
辛抱強く自分の非や落ち度を認めて
真に反省から立ち上がることを当たり前とする国や人々から見れば
やっぱり反省はしていないと実感してしまうのかもしれない

ドイツ人はナチスの歴史を忘れないために、
自らナチスの非道の記録を掘り起こし、
関連する施設や二度と起こさないための法律を作った

しかし日本は、、、

高校でも近代史は時間がないということで
まともに教育されない
靖国神社の問題も単にいろんな考え方があるよね
くらいな扱いでしか国民には行き届いていない

確かに客観的冷静に見れば
これでは反省したことにならないのかもしれない

我々は見たくないもの認めたくないものも直視するところから
始めなければならない
一番良い例が徳川家康のエピソードにある
家康はある戦いで命からがら、恐怖で?尿を漏らすまでの大敗をしたが
その屈辱を一生忘れずに次に活かすために
あえてその見にくい状況の絵を描かせて手元においたという

つまり反省ということはポジティブという心地よい言葉に誘われる
未来の方針だけでなく、深い内面から醸しだされたものでなければならない

本当に我々は反省しているのだろうか



コメント
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