フルトヴェングラーって誰?
現在ではドイツでもそんな声が聞こえる
現に自分がハイデルベルクのフルトヴェングラーの
お墓を駅のインフォメーションで聞いた時も
若い女性は首をかしげるばかりだった
フルトヴェングラーはカラヤンの前の
ベルリン・フィルの指揮者と言えば一番わかり易い
そして日本の年末に取り上げられるベートーヴェンの
第9の一番のお薦め演奏者として名高い
この人は第2次世界大戦中、亡命するチャンスがあったにも関わらず
ドイツにとどまり続けた
それが間接的にナチに協力したと考えられ、戦後は裁判にかけられた
結果的には無罪となったが、彼がドイツにとどまり続けた理由を独断で想像してみた
フルトヴェングラーがドイツに留まった理由というのは、
悲しいくらい彼がドイツ人であったため。
ここで言うドイツ人とは、理性的、論理的でありながら心のなかに、
何かそうしたものだけでは理解し得ない世界があることを体の中に感じている人々のこと。
グリム童話や少年の魔法の角笛が、現実世界に欠くことのできないものとして存在するメンタリティの人々。
ゲーテやヘッセなどのビルドゥングスロマン(ファウストやガラス玉演戯のような)を
血肉として感じ留めることの出来る人。
そういう人々の中にこそ自分の芸術は理解されると感じていたのではないか。
ある時、彼(フルトヴェングラー)は
音楽家にとっては、やはり一つの故郷は必要なのだ
と述べている。そして有名な言葉で
音楽は何よりも共有体験でなければならない。
公衆のない音楽とは、存在不能でしょう。音楽は、聴衆と芸術家との間にある流動体です。
音楽は、構築物でも、抽象的発展でもなく、生きた人間の間に浮動する要素です。
そしてこの運動により意味をもつのです。
しかしこの公衆とは、彼は自分の育ったドイツ人の感性を前提にしていたのではないか。
確かに政治音痴であったことは、後に明らかにされるが、
彼の本質的なロマンティックな性質からは、後でとやかくいうのは少し酷な話。
昔ドイツを訪れた時、まるで学者のような雰囲気の老人(普通の人だったらしい)が
ピアノを、まるで心を奪われたように演奏していたシーンがずっと頭に残っている
そう、ドイツ人はこういう人たちなんだと強く感じた
そういうドイツ人にこそ、自分の芸術は真に理解される
そう思ったのではないか
フルトヴェングラーの演奏は、音楽の演奏と言う行為が
何をなしうるかを考えさせる
単に心地よい時間の経過だけでは済まない何かがある
それは音楽体験以上のもの
そんな風に感じさせる彼は天才というか、
やはり特別な存在としてこの世に送り出されたと思うしかない
だが少し寂しいのは、ドイツでも彼の名が忘れられつつあるということ
日本でもドイツでも自国の偉大なものは、案外気がついていない
ということだろうか