パンセ(みたいなものを目指して)

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読み終えるぞ!ピケティ『21世紀の資本」

2015年02月14日 19時00分52秒 | 

資料を除いて608ページ
現在464ページ読了(ページを捲った)
ということは半分は越したピケティの「21世紀の資本」

繰り返しになるが、案外読みやすい
確かに数字・グラフの解説は時に面倒だし
概念の定義付けの自分の理解ががあやふやで、
いちいち確かめるのが面倒で読み飛ばしていることも多いが
それでもここまできているということは
評判だけでない何か魅力があるせいだ

そのひとつは、ピケティがこの本を書くことになった
大きな理由である格差への抵抗感、怒りが
ところどころに生身の感情として見えるところにある

そして本の最初の部分にも書かれていたが
経済学が数学的処理とか数字の解釈だけでは済まない
もっと広範な知識を要する学問であるべき
と言う姿勢にも共感できるからだ

アメリカンドリームというが成功者の努力の
結果が単純に収入の格差となっているか
特に最近のアメリカでは大いに疑問

収入・資産に関する限り単純な努力の差
とは言い切れない部分がある

きっかけは画期的なモノの発明やサービスの開発であったとしても、
上位の人々の収入の劇的な増加を可能にしているのは資本が資本を
呼びこむという最近の傾向が大きい

大金持ちには有効な資産運用のアドバイスが行われ
長期にわたって安定した運用も可能で
これが結果的に資本がより多くの収入を生むことになる

相続の問題がある
単に相続を引き継いだ人がいるが、
相続した資産を上手く増やした人が現実には多いようだ

努力した結果として認められそうな創業者の高収入についても
ピケティはさらっと流しているが、こんな表現もしている

「資本収益はしばしば、本当に起業的な労働(経済発展には絶対必要な力)、
全くの運(たまたま適切な時機に、有益な資産を良い価格で買う)、
そして明白な窃盗の要素を分かちがたく結びつけたものだというのが実情だ」

とくに最後の部分は認めたくない部分かも知れないが、半か丁か
バレるかバレないか、ぎりぎりの判断をした人たちも少なくないのではないか
明治の財閥の方々はみんな正当な努力だけであれだけになったのか?
(広瀬隆の持丸長者を読むとそういった疑問が湧いてくる)
それでなくても、ある種の経営者は同様な経験をした人物を
見分けたり、共感したり、納得したりする
それは自分と同じ雰囲気を感じ取るからだ

例のごとく話はそれてしまったが、再びピケティの印象について
ピケティの数学的能力、経済学者的な能力だけでない
もっと広範な洞察力に富んだ、ある種のリベラルアーツ的な能力は
ヨーロッパ人のなせる技のような印象を持つ

少なくとも残念ながら日本には生まれない気がしてならない
専門バカも大事だが、それだけでは収まらない、
なにかもっと大きな思索を頭の中に持っている人
そうした人が出てきてくれないものだろうか

またまた、ピケティの話から離れてしまった
でも、世界に通用する知識人と言う人が
出てきてほしいものだ
(ノーベル賞受賞者にはテレビのワイドショウ的な扱いでなく
 彼らの生き様や哲学を聴くという機会が何故日本にはないのだろう)

コメント
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