還暦を過ぎて数年、最近は自分の年齢を書くのにも
だいぶ慣れてきて、驚くようなことはないが
それでもつくづくこんな年齢なのかと感じることはある
自分から申し出てアルバイトのような生活をしている
週に数回の出勤 あとはのんびりの生活
ところがこののんびりの生活が実際経験してみると
なかなか時間の使い方が難しい
仕事に出ていると勝手に時間は過ぎていき
社会との関わり合い 変化を感じる事ができるが
リタイア状態は変化に乏しい
と言っても、この何にもない状態を
自ら体験しようとした
まるでそれが自分の一生ついてまわる運命のように感じて
どうも自分は残念ながら使命感に燃えるような
仕事、出会いはなかった
大きな理想を掲げて努力するというには
あまりにも横着でいい加減すぎた
しかし、なにか毒にも薬にもならないことを
あれこれ考えることはずっと続いてる
(みんなそうかもしれない)
その考える中(テーマの中)に自分の役割とか運命がある
そして現時点で見つけた結論は、
自分は多分一生この手の問題を
考え続けるに違いないし、これが自分の役割ということ
つまり、時間の使い方や潰し方
何をするように生まれてきたのか
単に生き続けることでいいのか
田舎に暮らして社会に対して大して関与しないで
しかも努力をしない小市民の典型
あれこれ理屈ばかりをこねて実生活の知恵も知らない
こういう人間がどうのような意味があるのか
だが妙に変なことには関心がある
認識論や哲学、人間はこうあってほしいとか
人間の弱さとか、人間の悪いところをも受け入れる気持ちとか
その他、最新物理の問題・解釈だとか
音楽についての感じ方、そしてその感じ方の意味するもの
実生活には本当に関係ない生活を今まで続けてきたし
これからもするだろうが
この世間離れした人間が自分と言う存在には間違いないし
こうした人間が存在することの意味探しを続けていかなければならない
のが自分かなと思ったりする
むかし、頑張れなかった人にも、、、
と言う広告コピーがあった
頑張った人にではなく、頑張れなかった人に、、、というところが
より多くの人の心情を表している
頑張れる人は頑張ればいい
しかし根性のない頑張れない人、横着な人
そういう人も実は大事なんだと思う
というかそう思いたい
ぐでたま、パパゲーノ
そういう人物のほうがより人の気持をホッとさせる気がする
ということで、横着な自分の自己弁護!