パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

スコアを見ながら聴く

2015年02月19日 20時20分56秒 | 音楽

残念ながら音楽家でないからスコアを見たところで
音が頭の中に浮かぶわけではない
ヴァイオリンが主旋律をメロディアスに奏でる曲なら
ヴァイオリンを追っかければ曲に何とか追いついていけても
金管楽器に中心が移っていくと素人の自分は
一気にどこかがわからなくなる

昨晩ブルックナーの8番、その3楽章をiPhoneのイヤホンで
聴きながらスコアを追ってみた
演奏はハイティンク、ロイヤルコンセントヘボウのもの
この特に何かあるわけでもない演奏は好きだが
イヤホンでしっかり聴くと色んな音が聞こえて
作曲という行為がいかに細部に気を使ったものか
改めて再確認

何よりも感じたことは作曲はものすごく知的な作業に思えたこと
人のよい、少しおかしな大人びていないブルックナーだが
このスコアには専門的な知恵、アイデアが執念のように込められている
雰囲気が漂う
想像以上に変音記号の多い楽譜
楽譜の印象は耳にして聴き流すのとは随分印象が違う
確かにロマン派の音
だが人生を語りつくすようなロマン派ではなく
もっと別の目に見えない何かを求めるようなロマン派

フルトヴェングラーの言うようにブルックナーはその時代のためというより
時代の外にいて音楽を追求しているように思える

これらは素人の無責任は印象にすぎないが
それでもこの時間と体力と気力の犠牲を強いる音楽は
結果的に聴くものにも同じ程度の力を要求する
そして聴いたあとはなんとも言えない充足感を感じさせる

時間は長かったのか
それとも短い出来事なのか
それが曖昧になっていましそうなブルックナーの音楽
それをスコアという形で見ると専門家すぎる(技術がありすぎる?)
音楽バカがいるとしか見えない

ところでモーツァルトのスコアはブルックナーと比較すると
音を浮かべやすいが、なんと生き生きとリズムを奏で
呼吸しているのだろうと思ったりする

ベートーヴェンのスコアはやはり知的な感じがする

それにしても全体の音が頭に浮かぶ専門家が
少しうらやましい
物をたくさん所有している人より
この能力を持った人が羨ましい

コメント
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