パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大事なことは、自分の判断力を磨くこと

2015年02月11日 10時21分33秒 | あれこれ考えること

「シンドラーのリスト」と言う映画がある
昔その映画を見た時に思った2つのこと
ひとつは何故平気で人を殺すことができるのか?
そしてもうひとつは、何故ユダヤ人の人たちは
あの収容所で一気に立ち上がって抵抗しなかったのか
ということ

この後者の疑問は自分だけでなく
どうやら多くの人の疑問でもあったらしい 
そしてその研究も解釈も様々のようだ

実際のところ何が本当なのかはわからない
しかし、人はある状況下ではあのような状態を
受け入れてしまうという事実だけは存在する

例えば恐怖政治に一旦なってしまうと一人ひとりの不安は
極限となり、普通なら容易に思いつく人との連帯も
思いつかないのかもしれない

これは北朝鮮でも、またかつては ユーゴスラビアでも見られたこと
だが、これが遠くの国の話か、と言えばそうではないかもしれない雰囲気が
日本でも漂いつつあると感じるのは神経質すぎるか

非道なイスラム国のことを慮って考えることはない
この一言を大上段に掲げて
方法論として後藤さん救出の出来不出来を問うているのにも
かかわらず、政府を批判するのはイスラム国を支援している
というような強引な理屈を平気で口にする人

このへんてこな理屈に負けて
メディアすらも徐々に政府批判のトーンがダウンしている
そして世間はみんなと同じでいたいというこの国民の性格上
知らないうちにこの流れに流されていく

今の雰囲気は第二次世界大戦前野雰囲気に似ている
と言う人がいる 
そこまでは馬鹿ではないだろう 
これが普通の人の考える事

しかし、歴史から学べばドイツのナチスが政権をとった時
あれほどになると想像した人間がいただろうか
あんなものは直ぐに反対できる
そんな風に思っていたら、知らない間に引き返すことができなくなってしまった
ナチスの考えに反対するのは非国民、、、
そして悲惨な結末

自由は必要不可欠なこと
政権批判はできるうちは絶対しなくてはならない
(なにもかも反対というのではなく)
何も言えなくなる状態をつくらない
つくらせないということが
まともな社会のあり方ではないのか 

秘密保護法案、集団的自衛権、積極的平和主義、武器輸出三原則の解除、防衛費の増大、
憲法改憲、中国・韓国との仲違い状態
これらの動きを外国から見れば 、日本がどうの方向に向かっているか
それは明らかに危険な方に向かっていると判断されても仕方ない

一つ一つはそれぞれ理由のあることで、決められない政治であるよりは
ばさばさと決める政治が望ましい 
責任は私が、、、というものの、未だかつて政治家が責任をとった
と言う事実はあるだろうか 
政治家とは責任をとらない人の別名 
責任を負えない理由などいくらでも彼らは勝手に作り出す

我々市民は非力でも少しづつ賢くなっていくしか手はないのかもしれない
誰かにお任せしていた役割を、分かる範囲で少しづつ理解し
監視していく、そして一人ひとりが判断力を持てるような人となっていく

一人ひとりの判断力
誰かが指示してくれたり教えてくれたりではなく
自分自身で考え判断する能力、これこそ今の社会に必要なのではないか
と思ってしまう

最後の最後での判断を間違えないようにするには
人はリベラルアーツ、教養を身につけないと危ない
人の弱さ、ずるさ、偉大さ、名誉心、打算、嫉妬心、競争心、共感、
そうした全部をひっくるめた人間という存在を理解し得ないで
経済や現実の世界での結果を出すことに汲々としているだけの人は
果たして本当に信用できるのだろうか

我々は人を見る目を、まずは磨かなければならないのかもしれない 

コメント
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