先月の20日の日曜日に続いて昨日の3時頃、また近所の子どもたちが遊びの誘いに来た
今度は玄関に顔が見えるだけで目的はわかっていたのですぐに暖かい格好をしてでかけた
メンバーは小学4年の女の子が二人、小学一年の男の子が一人
前回より人数が少ない
「〇〇くんは?」
「お誕生会」
どうやら近所の彼の友達もそちらに参加しているようだ
遊ぶ場所を今度は自分らも子供の頃遊んだ神社(金毘羅様)にしようと提案した
遊ぶメンバーが少ないので家にいそうな子の家を訪ねた
ちっちゃな妹は神社まで行けないから今回はパス、、と同級生の女の子
今度は少し離れたところの子を誘いに歩く
その子のお父さんは知っている
そうか、誰々さんのお子さんはこの子たちと同級生なのか、、
と漠然と知っていたことが妙にリアルに感じる
その家はチャイムをならしても応答はなし
結局三人と自分で金毘羅様に向かった
ここなら安心して遊べる
お遊びは今回も「隠れんぼ」最初に鬼を決める
大人の目からすると隠れるところもそれほど無く変化に富んでいなくて
すぐに飽きてしまいそうだが、子どもたちの目は大人のそれと全然違うようで
一回一回鬼が変わるたびに全身全霊で遊びに夢中になっているように見える
鬼の役の子が、隠れてる子を見つけたらタッチする場所からあまり離れずに
(隠れていた子に先にタッチされるのが怖くて)遠くを見て探すので
なかなか隠れてる子を発見できずにいて、盛り上がらなくなったので
次の鬼の役の子は、何メートル以上離れたところまでいかなければならない
と石で地面にエリアを描く
これはなんだか感動した
遊びながら、現実的なより楽しめるルールを作っていく
子どもたちはこういうことまでできるのか、、と
(この方法は既にある方法かどうかは知らないが)
子どもたちの発想力は想像以上で、そういえば金毘羅様の入口付近に並んだいくつかの石を
アスレチックといってピョンピョンと渡って成功した子は自慢して小さな子も負けずにトライした
子どもたちの遊びは、場所と人数さえあれば適当に遊ぶ方法を考えうるのではないか
フト、そんな気さえする
隠れんぼに飽きると、隠れんぼを見ていた三人の男の子が一緒に遊ぼうの声に誘われて
ボールを使ってのパスゲームをすることになった
これがは思いの外盛り上がった
受けての子が高い声をだしてボールを要求する
邪魔する方も必死
大人の知恵はパスが受けれそうな場所にすぐに移動することを考えるが
子供は突っ立ったままここへ、、と要求する
パスを受けられる位置に動くのは良いが、何回か続けると体が重いので息切れがする
一方、子どもたちは走る走る、、、
途中で雨が強くなる気配がしてきたので、楽しかったお遊びの時間は終了することに
前回と今回、もしかしたらあと数回は誘われることがあるかもしれないと思いつつも
中心になって誘ってくれたのが小学4年生の女の子だから、
この子たちはそのうち「思春期(のはしり)」になって遊ぶなんてつまらない、、、
ということになるだろうな、、との寂しい思いも浮かんだ
でもとりあえず、遊びのメンバーに入れてもらっているので今を楽しまなきゃ
彼ら彼女らはこのおっさんを「大人」というより仲間と感じているのじゃないかな
そしてそれは、とても幸せなことのように感じる
あいさつ推進運動のメンバーは、子どもたちを遊んだと話したところ羨ましがっていた
あまり自慢することのない自分だが、これはもしかしたら自慢できることかも