扱われる本によって見たり見なかったりのNHKの「100分de名著」シリーズ
今回のオルテガの「大衆の反逆」は、普段は一回しか読まないことが多いなかで
再度読み返した気になる本で、自分の理解の仕方が正しかったのかが気になるので
録画して見ることにした
第一回目見終えてホッとした
ポイントは自分でもちゃんと抑えている
ところどころ付箋を付けたり、書き残している文章はこの番組でも扱われていた
普通に読み解けば、そう読める、、ということなんだろうが
みんなと同じのようで安心した、と言う精神状態は、えらく皮肉っぽくなるが
ここで扱われた「大衆」のなかのひとりってことになるんだろうか
自分が書き起こした抜粋部分は
大衆とは、みずからを、特別な理由によって、---よいとも悪いとも---評価しようとせず、自分が《みんなと同じだ》と感ずることに、
いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。
オルテガ大衆批判は辛辣を極めている。ただし彼が批判する「大衆」とはよく誤解されるように特定の階層のことではない。
階級や社会的地位とは関係なく、自分の意見を持たずに大勢に流されるような人間たちの事を大衆と呼ぶのである。
従って富裕層や支配者層に属していても、空気に左右されやすいような性格を持っているのであれば、その人間は「大衆」の一員なのである。
100分で一冊を紹介するパターンなので、第一回目は入口の部分
今後、エリートの概念が紹介されることになっていくと思われるが
つくづく感じるのはヨーロッパの知の奥深さ、教養というものへの畏敬の念、全人格的な判断をすべしとする人としての捉え方
これらが当たり前のようにある種の人々には身についていること
話しは飛んで、日本のテレビ番組では専門家・評論家といわれる人々が時と場所、テーマに関係なく
コメントを求められ、それがまるで社会一般の理解の仕方であるかのような扱われ方をする
専門家は専門分野には詳しいかもしれないが、他の分野においては素人にもかかわらず
視聴者も素人だからといって平気で無責任な発言をしがちだ
わかりやすい例では、サッカーの試合について指導者のライセンスも持っていないプロ野球の経験者が
サッカーについてあれこれ言うのがこれに当たる
そして視聴者はいつの間にか見聞きした意見を自分が考えたもの、多くの人の共通意見と理解して安心する
専門家は謙虚に突き詰めていけば、自分は何も知らないというソクラテスの導き出した結論に至ると思われるが
現在の社会においては「専門分野」の見方が絶対視され、そしてそれが科学性を持っていると判断されやすい
例えば原発における事故の確率は、統計学上限りなくゼロに近いだから安全だということになり
人は理性的になって科学(確率)を信じるべきだとの声がある
だがこれは一分野の専門的な見方であって、行動経済学・心理学の面からすると人は損をするのを
得するより嫌う傾向があり、つまりは一旦事が起きてしまえば取り返しのつかないことになる(損する)のを
恐れるのは、傍観者のような確率とかでは表現できない人間の心理的傾向ということで
単なる確率論だけで話を進めるべきではなく、人としての全人格的な傾向をもって選択すべき問題
ということにもつながる
ということで、いろんな話に連想が人が広がりそうな「大衆の反逆」
今後も忘れずに録画しておかねば、、、