民主主義は合意形成のステップが肝心、、との話が
昨日の国会とNHKテレビの「100分de名著」オルテガの「大衆の反逆」でも出てきた
概念的にはこれはその通りだ
しかし、問題は実際の現場とか運用となると、これがとんでもなく難しいことになってしまいそう
内容がじっくり話し合われることが必須となるのだが、残念ながら現在は
そのステップを踏んだという事実のみが、内容も深く検討されたとの証となっている
お役人がよく使う「適切に」の言葉は「ステップを規定通りに踏んでいる」との意味で
内容そのものの評価ではないことが多い
(地元の例では庁舎建設についてのことや新城八名地区の産廃業の操業認可などで)
いきなり結論めくが、人の考えること(システム)は何時もどこかに欠陥がある
最初に考えたとおりにはなかなか物事は進行しない
それどころか、予想もしなかった結論を導き出すことさえある
(ナチスは正式な手続きによって政権を把握したことなど)
人は完璧なものを考ええない(間違いを犯す)というのが根本となっている考え方が保守
理性のみを楽観的に信じて急激な改革を進めようとする改革への対立概念で
チェスタトンは理性のみを信じるのは狂気とも決めつけている
人は間違いを起こす不完全な存在、、だから時点での理性的な判断だけで物事を決めて良いのか
人が試行錯誤でいろいろ共通の知恵としてきた慣習や伝統をより良い判断の材料として
急激な変化をするのではなく、緩やかな変化をしたほうが現実的との考え方が保守
しかし、現在の日本は若干これとは違って保守という言葉を使っているようだ
「伝統回帰主義者」昔は良かった、、、と考える人が保守のように思われている
実際は「昔の人間も間違いを起こす不完全な人間たち」なので、その当時もより良きものを求めて
試行錯誤をしているのだから、伝統は大事にするが、守ってばかりではなく
徐々に変えていくのが真の保守主義者というところだが、日本ではどうもそこまでの理解ではなさそう
西部さんは「大衆への反逆」で、大衆の批判がタブー視されつつある空気を問題視している
これは少しニュアンスが違うが地元新城の「若者議会」に対する批判ができにくい空気・雰囲気と似てるかもしれない
以上は「100分de名著」オルテガの「大衆の反逆」を見て、刺激されてつらつら思ったこと
しかし、このシリースの解説に「エリート」の言葉が一度も出てこなかったのは、少し物足りないな
これは案外重要な概念だと思うのだが